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老いの春を、煌いて生きる

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悔いなく生き切ることを目指す75歳の青春日記

7月22日午後、和気町役場の建物内にあるホールで、母子移住者支援シェアハウスの6周年記念事業が開かれ、お招き頂きました。

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3.11の震災の時に、相次ぐ移住希望者さんのために、和気教会の延藤好英牧師とおいでんせぇ岡山のコラボで母子避難者専用シェアハウス「やすらぎの泉」を開設したのは2011年7月1日でした。


6月10日から3週間、県内外から駆け付けて下さる延べ100人ものボランティアさんたちの手で、傷みや汚れがひどかった古民家が見違えるようにリフォームされた充実の日々が今も蘇ります。

この6年の間に、やすらぎの泉に滞在された母子さんは187組、その中から多くの方々が県内外に移住して来られているそうです。

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6年間ずっと運営と見守りを続けて来て下さっている延藤さんのご挨拶から始まったイベントは、シェアハウスの縁で結ばれたお母さんたちのコーラスグループ【結び音】のアメージング・グレース演奏へと続きます。
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Okametic
 さんのダイナミックな指揮と歌声に、お母さんたちの歌声も次第に調子に乗って来ます。

コーラスの後は、この日のメインゲスト 沢 知恵さんの歌とピアノ。
沢さんご自身も、千葉からの移住者で、ステージの途中で、3.11の日の生々しい体験を、実感を込めて語られました。体験しなかった私が、まるで沢さんと一緒にピアノの下に隠れて地震の恐怖を体感しているような気持を味わいました。
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つねに客席とつながり、次第に歌の世界に引き込んで、共に歌うように盛り上げて行く沢さんの熱い在り方と飾らないお人柄に、会場全体が大きな家族のようにつながって行くのを感じる、素晴らしいコンサートでした。
まさに、舞台と客席が一体になって音楽の喜びを紡ぎ出し、盛り上げて行く 素晴らしいステージでした。
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コンサートの後に開かれた懇親会は、母子さん達の心のこもった手作りの軽食やお菓子が供され、沢山の子供たちがまるで兄弟のように戯れあう文字通り和気あいあいの風景が展開されました。

幼かった子供さん達も今は小学校の高学年や中学生。懐かしい顔も見違えるほど背が伸び顔つきもたくましくなって見違えるようです。

心配と不安に震えていたお母さんたちのお顔も、今は明るく晴れやかになり、母子だけの暮らしの苦労や寂しさを乗り越えて来たお母さんたちのシェアには、行動して来た人たちならではの自信が溢れていました。

そして同じ立場にいる仲間たちと繋がりあい、分かち合える楽しさや心強さが伝わって来ます。気が付いたら、会場全体が70人位の大家族の様な打ち解けた雰囲気になっていました。

何ということでしょう!
参加者は、ほとんどが核家族の暮らしをしている人たち。
なのに、やすらぎの泉の暮らしを体験する仲間として繋がり合い、まるでここを実家のように感じて返って来る仲間たちは、いつの間にかやすらぎ大家族の一員という意識になってしまっているのです。
まるで新たなコミュニティーのメンバーになったように。

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群れになって戯れあう子供たちを見ていて・・・・
繋がりあう場と機会と共有するビジョンがありさえすれば、長い核家族時代によりわたし達が失ってきた多くのものも、意外と短期間で取り返せるかもしれない・・・・
そう実感した嬉しい一日でした。
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                   (この写真は 逢沢直子さんのFBからお借りしました。)

こんな嬉しい場面を体験させて下さった、延藤さんご夫妻と支援者の皆さん、そして主人公の母子さん達に、心から感謝いたします。


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# by mahorobanokimi | 2017-07-24 02:48 | イベント体験記

前回に続いて、ここからは
今回の合宿で、自分の中で起きたことや
分かってきたことを、
自分の心覚えと、
今後への決意を確かなものにするために
書き留めておきたいと思います。

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まず、継承者(伝え手さん)の飯田さんが組み立てられた
周到な仕掛けの中で、
私自身が どのような体験をしたかを
少しお話ししておきましょう。


全国から集まった、
年齢も職業も、
生き方も様々な参加者たち。

その多くは、すでに2~3年の体験者、
しかし、私のような初心者も結構多い。

講義や実習を通じ、また 
みくさのみたからを数年開いてきた
先輩たちと、私たち初心者の違いを見て、
少しずつ分かってきたことは、

私たちが、いかに多くの思い込みの枠を
自分にはめてきているか、ということでした。

「こんな時は、もっときちんとせなあかんやろ」
「リーダーなら こうするべきやろ」
「初心者の僕が、そこまで言うては生意気や思われるぞ」
「先に、これやっとかなあかんなあ」
「しんどいけど、ここで抜けると変に思われるかなあ」

講義の最中でも
のびのび、生き生き動き、発言し、
また自由に退席したりする先輩たちのあり方。

そして、それをコントロールするどころか
むしろ促進し、本音で語り、動くことを
勇気付ける飯田さんのあり方。

それに対し自分が
こうあるべき、とか
~~しなければ、とか
~~すべきではない、 
などの縛りをどれだけ多く持っているか、

また、うわべをつくろう
フェイクの行動や表情が多いか、
ということが浮上してきてしまいます。



今まで、様々なワークショップを体験し、
感情解放や自己開示のワークなども体験して、
かなり自己解放し、
本音で生きているつもりの自分でしたが・・・・

ここに来ての8日間で、
否おうなく分かってしまったのです。

このような無数の自己規制や縛りで自分を閉ざし、
人目を気にし、演技や飾った言葉で、
本音を隠す生き方の積み重ねにより、
本来の自分の光がどれだけか を知らないまま、
心の岩戸を閉めてしまっているらしいということが!

そして、それらの縛りや制限をし続けてきて

私のカラダも、様々な緊張やたるみ、とどこおりに

包まれていることも分かりました。
やはり心身一如なんですね。
実習を通じて、この体の緊張やとどこおりも
かなり解けてきた気がします。

おそらく、
現代に生きる人々のほとんどは、
私と同じような自己規制や縛りで、
心と体の岩戸を閉ざし、
そのことに気づかないまま

命の光が輝き出ない生き方を
続けていたことがあったでしょう。


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たなそえ
まことのり

ちのみちとおす

このシンプルな3つの動詞には、

世界史的大転換を余儀なくされている
この地球に、そして人類に
イノチの輝きとパワーを取り戻し
新たな大調和の世界を創造する

凄まじいばかりの可能性が秘められている
・・・らしい 

と思い始めた私でありました。

この体験と気づきを通じて
私なりの将来ビジョンが より明確になりました。

そしてそれを生きるためには、
まず、ここで学んだみくさのみたからを
日々に実践すること。

たなそえ
まことのり

ちのみちとおす

そのために、日々「まむかい」をやり続けること。


これをつうじて
私が、そして私たち夫婦が
どう成長し変化するかを 見ていただきたいと
思います。

なお、このブログを読んで、
何かわからないけれど、
みくさのみたから
というものに興味が出てきた
という方は、


開いてみてください。
そして、できたら体験に参加してみてください。

イノチの岩戸を開くのがどんなものかは
体ごと飛び込み、体験することで
初めて分かるものだと思うのです。



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# by mahorobanokimi | 2017-06-25 13:19 | イベント体験記

みくさのみたからの合宿に参加して、

8日が過ぎました。


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久々の長期にわたるセミナー体験を、

目一杯楽しんできましたが、

いよいよ、今日と明日の2日で終わります。



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まず、ここでどのような形で
学びと気づきの場を体験したかを

心覚えのために、記しておきたいと思います。




広大な自然に囲まれた居心地の良い環境で、

午前中は自由時間と昼食です。



広大なカラマツや白樺の森の足元には、

穏やかな小川の流れがうねり、


豊富な植物相に覆われていて、

ついカメラを構えたくなる風景が、

至る所に広がっています。

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朝、この森を散歩するのは
私にとって、
至福の時間です。

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午後からはみたから継承者の飯田茂実さんによる
講義や実習です。
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山道をたどり、
爽やかな風に吹かれ、

木漏れ日を浴びながらの実習もあります。
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マキで火を焚き、自炊する
野外炊飯場での食事作りが
初めての体験の人も多く、


カンテキ(七輪)やおくどさんに
火を起こすことが役目だった

我が幼い日のことを思い出しながら、

ちょっと先輩ぶって、指導する場面も。





飯田さんは・・・
おぼろげな私の知識でも、


世界に知られた舞踏家であり、

イベントプランナーであり、

演出家であり、
音楽家であり、

文学者であり、
詩人であり
心理学者であり、
ヒーラーであり、

シャマンであり・・・

と
表現は不正確かもしれませんが、

とにかく信じられないほど多才で、

しかもいずれの分野も、

度肝を抜かれるほど
ずば抜けておられるのです。



優しく、親しみやすい話ぶりが、

時にびっくりするほどの厳しさに変わったり、

大笑いするほど、ユーモアに満ちていたり、


まるで、一人芝居の舞台を見ているような

感じがすることもあります。



飯田さんの、参加者への関わりを拝見していると、

常に場の全員に、意識が配られており、

それぞれの考えていることを、

ほとんど読み取っておられるのではないか、
という感じがします。



そして・・・

一人ひとりが、思い込みで自分を縛ったり、
本音を隠していたり、

したくないことを無理にしている

といったことに気づけるような場を創造すること

に全力投球されます。


一瞬いっしゅんに、命がけで取り組む気迫
がありながら


決して深刻にはならない凄さがあります。



その凄さは・・・

みくさのみたから
それが、
人々のイノチの岩戸、
心の岩戸を開き
世界を転換する 
最強の手段だという絶対の確信が

この稀有なマルチタレント・シャマンの胸中に

秘められているからこそのものだということが

この8日間の体験で、少しは理解できた気がします。




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夕食を食べた後は
キャンプ場で、
かがり火を囲んでの
輪の舞が、
毎晩繰り広げられます。


その楽しさと、不思議な魅力は

体験しないとわからないものです。



ここにも、イノチの岩戸を開く
絶妙の仕掛けが
隠されているようです。



さらに入浴の後は、
部屋で車座になっての集いです。



多いときは40人もの人が、
一部屋に集まり、
すし詰め状態での宴。


あちこちで熱い会話が交わされ、

新たな出会いと縁繋ぎの喜びが広がります。



このような宴が毎夜開かれる中にも

岩戸開きの鍵の一つが隠されているようです。


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# by mahorobanokimi | 2017-06-25 12:38 | イベント体験記


今わたしは、長野県伊那市にある国立信州高遠青少年自然の家で、このブログを書いています。

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諏訪湖にも近い南アルプス北端の、森の中にある施設で、小鳥やカエルたちの声に囲まれ、強い日差しにもかかわらず、木陰は涼しく爽やかです。

ここに来た目的は、

みくさのみたからの合宿

に参加するためです。


「みくさのみたから」
これまでは聞きなれなかった言葉かと思います。
三種の神器の事かな?と思われ方もあるでしょう。

みくさのみたから みっつでひとつ。
皆元のすべ・たまちの術
とも呼ばれ 
大昔から信州・伊那谷に伝えられ
(全国にもあったけれど、ほとんど忘れられていたが、幸いにも伊那谷では継承され続け)
実践されてきた健幸法であり、

自己の本質を解放する 
文字通りホリスティックな解放のワーク
であるとともに、

解放されたのちに実現する
新たな人生の創造プログラムの
セットアップ術でもあるようです。

そんな万能ワークのようなものがあるの?
そう思われるかも知れません。

わたしも学び始めたばかりで、
詳しいことはこれからなのですが、
どうも、まさしくそうらしいのです。

昨日、継承者の飯田茂実さんから伺った話を元に、
勝Zなりに勝手に解釈すると、
およそ次のようなことでした。

わたしたちは、
生育途中や大人になってからの日々の暮らしの体験の中で、

自分の思いや感情を
飲み込んだり抑圧するようなシーン
を体験するたびに

筋肉を緊張させ、
その筋肉の中に
感情を閉じ込めてきています。

そのような体験を積み重ねる内に

わたし達は
心身ともにぴったりと全身を緊張した筋肉で包み込まれたような状態に
なってしまっています。


これをアメリカの思想家ケン・ウィルバーは
「筋肉の鎧」と呼びました。

この筋肉の鎧の中に閉じ込めてきた
怒りや悲しみや恨みや寂しさなどの感情が、
わたし達のエネルギーの流れを妨げ、

今ここを感じるセンサーを麻痺させてしまいます。

またこの鎧が、
わたしたちの心と体の可能性を開き、
本質の輝きを輝かせるバリア(岩戸)となって、

わかっちゃいるけど進めない!
分かっちゃいるけど止められない!
自由に自己表現したいのにできない!

と言うような状態を生み出し、
人生の可能性を制限しています。



この鎧を解く様々な心理療法や
体験的なワークショップなどがあり、
勝Zも色々と体験したり、
ワーカーとしてやって来ました。

しかし、その鎧を、実に自然な、
しかも自分でやれる方法が、
この國に、いにしえから伝わっていたことを知り、
なんとしても身に付けたいと、
11日間の合宿にやって来たと
言う訳です。

初日の実習では、
継承者の飯田茂実さんから、

みくさのみたから とは何か。

たまちの湯などと呼ぶ た・ま・ちとは

た なそえる
ま ことのる  
ち のみちとおす       
       
ということであり
胸の苦しみ・頭の名病み・体の痛み、

みっつの〈ヤミ〉を晴らして お互いに
生き心地よく暮らしていくための伝統技術。

これを学んだトルコやフランスの人たちが
その後どのような活躍をし、
社会変革に貢献しつつあるか、
というような話も聞いて

単に、自らの岩戸開きだけでなく、
新たな世を創る手段にもなりうるのだなあ
と、感動しておりました。


ここでの体験や気づきについては、
また追々にご報告していきたいと思います。



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# by mahorobanokimi | 2017-06-17 11:39 | イノチネ倶楽部通信

セミナートレーナーとしての新しい人生は

ちょうど、わたしの42歳の誕生日から始まりました。

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40
過ぎての、全く新しい仕事へのチャレンジは、
悪戦苦闘と自己嫌悪の連続でした。
学びの苦闘は数年にわたり、
自分自身が、精神的な行き詰まりをなんとかしたいと
論理療法のカウンセラーに
相談に行きさえしました。

パーソナル心理学
アドラー心理学
ゲシュタルト心理学やフォーカシング、
サイコドラマやプレイバックシアター、

様々な心理学を学び、

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アメリカのエサレン研究所にも何度か通い、



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インドのアシュラムで瞑想修業し、

人々の成長を支える心身統合の研究を
積み重ねる日々は最高に輝いていました。

セミナーを通じて、

目の前で自分の殻を破り、
イキイキとした感情や感動を取り戻し

姿勢や表情や肌のつやまで、

みるみる変化して、笑顔いっぱいになる
受講生さんたちの姿を見ることは、

何よりも嬉しいことであり、
積み重ねた苦労を忘れさせてくれる

ものでした。

自己実現する喜びを体感する日々でした。


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そんな充実した10年を体験した後、

突然のバブルの崩壊に伴い襲ってきた大嵐。




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わたしは、
仕事も、家庭も、住み家も、

全てを手放すという
人生最大のピンチを迎えました。

それから5年にわたる、それこそ文字通り

どん底の体験を通じて、

わたしは、プライドと言う一番厄介な荷物を
徹底的に手放すことが出来ました。


手放してみて、それが、

魂と心の健康の邪魔に大きく影響していた
ことを実感しました

ゼロから再起した体験については、
またブログの中でお話して行きましょう。


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# by mahorobanokimi | 2017-05-31 21:45 | プロフィール
気持ちよく晴れた吉備高原の朝。

沢山のマルシェ屋台に囲まれた芝生広場で、
オープニングの挨拶から始まります。


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口火を切ったのは、このあたりの若手移住者のリーダーの こてっちゃん、こと芦原哲也さん。

私と同じころに京都から移住して来た仲間だが、まだ白面のインテリ青年、と言う感じだったが、
今は精悍な酋長的貫禄を身に着けた、 たくましいリーダーに成長していた。

私のkindle本を読んだこてっちゃんが、今回主宰するイベントに、私を招き、話す機会を作って下さったのだ。
私としては、こんな野外の、しかも不特定多数の人々が集まるところでの講演は初めての体験で、些か緊張した。

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幸い、私の前が 結構長いフラダンスの実演だったお蔭で、気持ちがほぐれて楽になった。

アーティストたちが竹や布で造形した、しゃれたステージの前で、話させてもらった。

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話しのイントロは、アースデイにちなんで、イエローストーン国立公園のオオカミ導入による
自然の生態系回復の奇跡と言う話から。

90年前オオカミが滅びてから、鹿が増えすぎて生態系が荒れ、公園が実年の無い砂漠のようになった。
しかし、20年前にアラスカから数十頭のオオカミを導入してから、次々に生態系が回復し、今では
調和のとれた自然環境が回復し、様々な動物や鳥や魚が済む豊かな公園に戻ったというのだ。

もし、オオカミではなく、人間が科学技術や力技で、ここの環境回復をやろうとしたら、おそらく
ここまでのホリスティックで調和のとれた自然にまでは、到底復元できていなかったであろう。

自然本来の生命力や調和機能を活かすことで、完治する病気も、対症療法をやってしまうと、
調和の状態まで戻すことがなかなか難しくなる。

命の営みは、常にホリスティック(全体的、相互関連的)であり、機会を治すように 部分を
修理すれば治ると言う性質のものではない。

後半は、いつも通り、症状=自然治癒のプロセスの話しをして、病気治しの医療と
健幸創造の新しい行き方の、まさにパラダイムシフトの必要性について話させてもらった。 
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後半は、リーダー こてっちゃんとの対話。
彼が、一般の生活者の視点からの質問を投げかけてくれるので、わたしは話が広げやすかった。

様々な年代層やタイプの方が来られていたが、年代やタイプの違いに関係なく、
いろんな方が、うなづきながら熱心に聞いて下さり、本当に嬉しかった。

これからも、このような様々な方々の前でお話する機会があれば、ぜひチャレンジしてみたいと思った。

私たちと同じ時に移住して来た大阪の仲間で、素晴らしい光の写真を撮る写真家の愛甲タケシ夫妻も
元気で食べ物の屋台を出していたが、わたし達が帰ろうとするときには、もう売り切れで店じまいに
かかっていた。

仲間たちが夫々に、自分の道を開き、楽しそうに動いている姿は、この地に出来つつある新しい時代の
コミュニティーの雛形のようにも見えた。

終ったあと、前日から準備や当日のブックの販売など手伝ってくれていた娘の美穂を案内して
和氣の藤公園に出かけた。

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まだ3分咲きとはいえ、日暮れの微かな光の中で揺れる藤野花々は妖艶でさえあった。

和氣神社の前から橋を渡ろうとしたら、美しいアオサギの姿が。
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だが、まだその次の登場者がいた。
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今日昼間の講演でビーバーの話などもしたので、一瞬ビーバー?と思ったが、よく見ると鼠のように長いしっぽ。
これは、わが畑にも良く乱入して荒してくれるヌートリアに違いなかろうと思えた。

思いのほか大きかったが、そのあと川の中を泳いでいく姿はなかなかスマートであった。

今日の講演に向けて、色々準備して来ただけに、一仕事終わった後の解放感が、心地よかった。













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# by mahorobanokimi | 2017-05-01 23:44 | イベント体験記

サラリーマンとして働くことに迷いはじめ、
働く意味や目的まで失いかけたわたしにとって、
衝撃の出来事が!



それは、ある勉強会で問われた言葉でした。

「最近あなたは、どんなことに
        感動しましたか?」


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愕然としました!

思い出そうとしても、
感動体験が思い出せない。

1週間、1ヶ月、半年、1年・・・
遡っても、感動した体験が浮かんでこない。

恐ろしい経験でした。


良く考えてみたら、
「自分は生きている」と実感する瞬間は
酒を飲んでいる時か、

麻雀をしている時くらいしかない。

それも、実感していると言えるのか疑問な程度。

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ダメだ。このままでは生きた屍になって行く。

この一見安定した地位や収入の
安全地帯に閉じこもっていては、わたしは
ゾンビになってしまう。


内なる声が叫びます。

「生きながら死ぬなんて、いやだ~~~!」


せめて、環境破壊する側から止める側になりたい。


しかし反対運動では、

世の流れは変えられないことは明らかだ。


可能性があるとすれば、
人々の意識が変わることからだ。


そう思うようになりました。


悩みに悩んだ末、会社を辞めて、
意識啓発や能力開発の
トレーナーになろうと決意したのです。



しかし、妻は猛反対です。


せっかく安定した地位や収入を確保し、
新築した家のローンなどの保証が
人生から消えてしまう、

と不安だったのでしょう。


妻とも散々話し合いましたが

どうしても、同意してくれません。


「妻が同意してくれなくても、もうやるしかない」


そう決意したとたん、

それを伝える前に、

妻は「好きにしていいよ。」と言ったのです。

反対を続けさせていたのは、
実はわたしだったのだ!

と気づきました。

結局41歳の終わりに、


19年半勤めた会社を退職しました。


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その時に気づいたことは、


チャレンジしようかどうか悩んでいる時も
枠を飛び出す決意をした時も、


「自分は今、本当の自分を生きている」


という実感があると言うことでした。


妻と3人の娘とを抱え、

家の大きなローンを抱えての決断には
正直なところ、わたしにも不安もありました。

しかし、安全地帯で

生きたまま腐って行く自分は見たくない。


「生きる目的とは、

チャレンジし、成長進化して行く事だ。」

例え、経済的にピンチが来たとしても


魂が腐るよりは幸せだ。
そう決意し、枠を超えた時は
実に爽快な思いを体験しました。

やっとのことで、魂と心と体の健康を
取り戻した気分になりました。



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# by mahorobanokimi | 2017-04-26 03:18 | プロフィール


サラリーマン生活10年にして、
初めて、企業社会の厳しい一面に直面し、
雇われている立場とはどんなものかが
少し分かった気がした私でした。


これからどう生きればいいのだろう?

そんな思いでいるわたしに届いたのは、
びっくりするような情報でした。

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わたしが激怒させてしまった

あの子会社の社長が
親会社に強く推薦して、

33歳のわたしを
本店の課長で
復職させて下さったのです。

事情はどうあれ、事業は失敗し、
親会社に損させた一員なのに、

結果としては、
同期の中でも2番目位の
栄転ともいえる人事、


1年間干されはしたけれど、
熱意は通じていたのだなと嬉しかったです。


この子会社の社長に対する
わたしの表現方法には
工夫の余地があったとは思いますが、


自分の
魂の声に従って、

本音でものを言い続けることは、
結果として私の人生にプラスする

と学びました。


親会社に復帰した私は、
折からの列島改造ブームに乗って

高度成長期に向かう
大手ゼネコンの若いエリート管理職。


3人の娘にも恵まれ、家も郊外に新築し、

物質的、社会的には豊かな日々。

折からの列島改造ブームに
建設業界は成長の一途でした。

週に何度かは、
高級な倶楽部でお客様の接待、
気を使いながらの接待ゴルフ、

お得意様に出かけるのも

運転手付きの社用車を使うルール。
それはまるで、
テレビドラマになりそうな日々でした。


しかし、数年して企画部門に移り、
専門分野の仕事は
部下任せという立場になり、
40歳が目の前に近づいたころ、
わたしの心は揺れ出していました。

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Copyright Paylessimages,Inc. All Right Reserved.

自分ががんばり、

会社が発展することが、
環境破壊に力を貸している。


このままでは地球をダメにしてしまう。
自分もその加害者の一人なんだ。

そんな思いがだんだん強くなって来て、
仕事を進めること自体にも
迷いが出始めてきてしまったのです。


押さえてもおさえても、

「こんな仕事を続けるのは嫌だ!」
と魂が叫び続けます。


さらに辛かったのは、
実務を部下に任せるにつれて、

だんだん現場と遠ざかり、
自分自身で直接手を下す仕事が、

ほとんどない状態に

なって行ったことです。

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Copyright Paylessimages,Inc. All Right Reserved.

歩く名刺としての役割だけの自分です。
何のために生きているかがぼやけて来て、
働く意味や目的さえ見失っていきました。



(続く)

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# by mahorobanokimi | 2017-04-26 00:51 | プロフィール

わたしの最初のつまずきは、

高校時代でした。



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高校に入った時は、

トップクラスだったわたしも、

遊びまわっていて、気が付いたら

同学年650人中630位あたりをうろうろ、

落ちこぼれて自信喪失、自己嫌悪。


しかし心機一転し、

浪人中は、毎日3時間睡眠。

1年で3年分勉強して

地元の国立大学に入って、自信回復。


そして、卒業後は、

日本で5本の指に入る

ゼネコンに入って、

やれやれ、何とか両親の期待に応えられた
とほっとしました。



新人時代は、総務部で

鬼課長から文書作成の特訓。

書いても 書いても、

赤鉛筆の直しが入る毎日に、

またしても、自己嫌悪。


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20代後半で、自ら志願して

新しく設立する子会社へ出向。


子会社で直接採用した

若い部下たちのチームを率いて

夢中で頑張る体験の中で、

気が付けば、いつの間にか

人の輪に入ることが 徐々に出来る様に

なっていきました。


必要に迫られて、

飛び込んで行ったからこそ、

殻が取れ始めたのだと思います。


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しかし・・・・


会社のためにと張り切りすぎて、

社長にも、自分が正しいと思うことを、

遠慮せずに提言していたら、


「君は、わたしの指導力が

   足りないと言うのか!」


と 普段は穏やかな社長が、

突然プッツンして、大声で叫ばれたのです。


なんと、それから1年近くも

あれほど信頼され、

可愛がられていた社長から

まったく口をきいてもらえないという

思いがけぬ体験をすることに

なってしまいました。


この体験から、わたしは・・・

どんな正しいことでも、

相手が受け取れる形で伝えないと

伝える意味が無いこと を学びました。

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その後結局、その子会社は市場に適合できず

事業から撤退。

子会社で直接採用した人たち大半の

首を切らざるを得なくなりました。

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親しい仲間や部下たちを切るという、

なんとも辛い体験でした。


営利企業と言うものの冷酷さと、

雇われている者の立場の弱さを、

痛感した体験でした。



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# by mahorobanokimi | 2017-04-22 08:00 | プロフィール
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わたしは昭和16年生まれで現在76歳。

長い間、歯医者さん以外の医療機関に
お世話になることもなく

健幸自立的人生を楽しんで来ています。

これは、
もともと親から丈夫に産んでもらったこと、

戦争前後の食糧不足で、粗食で育ったこと、

そして 長年探求して来た健幸研究のお蔭だと
自負しています。


そして、歳の差夫婦の気楽な暮らしは、
周りからは、自由でいいねえ。

理想の夫婦だねえ。
などとよく言われます。

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ここまでの、なんとなく自慢めいたお話に
お付き合い頂き有難うございました。

別に自慢したかった訳じゃなくて、
わたしがお伝えしたかったポイントは・・・

今わたしが提唱している
健幸
魂と心と体の3つ】
が健康で、バランスがとれている状態

を、ごく普通のこととして
わたしたち夫婦が実際に、この17年間
実践して来られたと言うことなのです。


そうは言いながら・・・

かく言うわたしも、昔から3つの健康が
バランスよく整っていた訳ではありません。

生まれ落ちた瞬間から、
西式という健康法で育てられ、

たまに病気になっても
全部自分で治すのが 我が家の当たり前で、

小さいときから、
自分の健幸は自己管理が当たり前
で生きて来ました。


ところが、魂と心
なかなか体のようには行きません。

自分で言うのもなんですが

実は若いころ、カタブツで(笑)
人とオープンに話すのが大変苦手でした。


戦争で田舎に疎開していた時も
地元の子供たちとは馴染めず、


戦後、焼け跡だらけの神戸で
焼け残った小学校に
転校してきたときも

仲間たちの群れからは
いつも浮いた存在でした。


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一人ぼっちで、何時間も

焼け跡の草原で
小さな草花と 話している時間が
一番幸せでした。

一面のオオイヌノフグリの花を、
まるで昼の星空のような思いで眺めていたことを
思い出します。


そんな孤立癖のあるわたしが、

今ではセミナー講師として
沢山の人の前に立って
皆に話しかけたり、

参加者の質問や相談にこたえたり、
対話を交わすことを

心から楽しめるように
なっているのです。

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若いころは、異性に話しかけるのも
緊張して、構えた話 しかできなかったのに、

今は、男女にかかわらず、
どんな年齢の人とでも
気軽に、心開いて話せるようになりました。

誰とでも、全然構えずに 
話せるようになるには

色んな恥ずかしい失敗や、
惨めな体験の歴史がありました。

まあ、76年間も生きてくれば
波乱が無い方が
おかしいかも知れませんがね。

そんな人生のドラマについては、
また、おいおいにお話することとして、

まあ、心配性で、頑固で、
そのくせプライドが高くて、

仲間たちから一目置かれはするけれど、

多くの場合、
内心では煙たがられていたわたしが、

なぜ、
今のような生き方に変容して来られたか、
については、次回にお話ししましょう。



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# by mahorobanokimi | 2017-04-20 17:09 | プロフィール