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老いの春を、煌いて生きる

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悔いなく生き切ることを目指す79歳の青春日記

人は人によって育まれる。2

美作賢治の楽交で毎月開かれている子どもゆめ基金関連の子供イベントに参加してきた。
スタッフとして楽しみながら関わっているうちに、もう9回を数えた。
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まだあちこちに積雪の残るこの日、恒例のスタッフミーティングにメンバーはストーブに張り付くように集まった。
このイベントの特徴の一つは、スタッフの年齢や立場がまちまちだということだ。

主催者の前原さんや私のような70歳代のものから、幼児を抱えた若者まで、世代も経歴もまちまちだが、ボランティアすることを喜びとする田舎暮らしの仲間たちだ。
その殆どが、ここ1~2年以内に、岡山に移住してきて、これからどうやって生活費や子育ての資金を稼ごうかと思案中というメンバーばかりだが、意識は常に前向きで、夢に向かう熱さが不安の影を感じさせないところが、この仲間のすばらしいところだと思う。

そして、主催者の前原さんの枠に囚われない自由さが反映しているせいもあるが、スタッフミーティングもきわめて気楽で、大まかな役割分担と、およその進行予定を共有するだけで、後はメンバーの自主的な動きに任されているのに、いつも実にスムーズにイベントが進行し、これという事故も無く、ここまでやって来られた。
子供たちをつれて山に入り、山菜採りをしたり、竹を切ったり、また田んぼで田植えや草取り、稲刈りなどの作業をやったり、竹細工を体験させたり、心配すれば切が無いくらい事故や怪我の可能性もあったと思うが、これという事故も怪我も無かったことは本当にありがたいことだと思う。

しかしこれは偶然の幸運ではなく、スタッフたちは、みんな愛の深い人たちで、子供たちに優しい見守りを怠らなかったおかげだと思うが、それと同時に、メンバー全員がのんびりゆったり自主的に動いている気楽さや、不安に対処しようとする緊張感などがなかったことが、参加されている親子連れさんたちをもリラックスさせ、自然本来の体の柔軟さや原始的な注意力を生かすことが出来たからではないか、と私は考えている。
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この日の参加者は約30名の親子連れさん、多くが岡山市内や倉敷あたりから駆けつけてくださっている。
快晴の庭でスタッフとあわせて40名ほどのメンバーで、この日のイベントが始まった。
里山の手入れと焚き火、郷土食を味わい、味噌作りを楽しむのがこの日のメニュー。
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早速みんなで山に入り、下枝や潅木の伐採や枯れ草の片付けと焚き火が始まる。
2~4歳くらいの小さな子供も混じっているが、小学生くらいの子供たちが自然に面倒を見ている。
イベントも9回目ともなると、続けてきている子供たちが、お互いに大家族の兄弟のように仲良くなって、このような係わり合いが、ごく自然に行われるように成って来ている。
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里山ワークの指導は、仲間のご主人で、大学農学部森林科学コースの教授が引き受けてくださっている。
といっても気さくな方で、子供たちも自然になじみ、指導を受けながら一生懸命のこぎりを使ったりしている。
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焚き火の周りでは、凍える手で子供たちが薩摩芋をぬれた新聞紙や銀紙でくるんでいる。
プラスティックの箕を団扇代わりにして焚き火を煽ぐのに汗だくの子もいる。子供たちにとっては、雪の残っている寒さもお構いなしのようだ。
お母さんたちも、子供たちの元気さに負けず、生き生きと動き回っておられる。
お母さんたちも続けて参加する間に、お互いに大家族のように親しくなり、自分の子も他の家族の子も区別なく見守り、面倒を見られるようになってきているようだ。
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イベント主催者の前原さんが小学校の先生としていた頃から、食育の大切さを痛感しておられた関係で、このイベントでは毎回、旬の食材や、この地方独特の食材にフォーカスした食事が出される。

この日の昼食は、この地方の郷土食カケメシ。
野菜類に炒り卵、そして臭木(くさぎ)と呼ばれるクマツヅラ科の木の葉の煮た物などをどんぶり飯に載せて美味しいダシをかけたカケメシだった。
若葉が薬臭いにおいを出し、熟した早小枝は漢方薬に使われるという臭木独特のにおいを生かす、この地方独特の食べ方だというが、参加者はみな美味しそうに食べ、お変わりする人も続出していた。
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食後は、味噌作りだった。
庭に置いたかまどでたっぷり煮込んだ大豆も、美作在住のスタッフが段取りした地元のもの。
飯盆に入れた麹と塩をよく混ぜ、さらにゆでた大豆を混ぜて子供たちに配る。
子供たちは、小袋に分けてもらった材料を麺棒や手でつぶして味噌を作る。
実に楽しそうにやり続けている。
味噌作りに限らず、ここでさまざまな作業をやっているとき、子供たちは実に楽しそうで、しかも根気が良い。

今の子供たちは根気が無いなどと言われることもあるが、余りにも環境が整えられたり、清潔さや安全性の枠に囚われる余り、子供たちの本能が蘇り心が躍るようなチャンスをあまりもらっていないのではないかろうか。
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参加者にぜんざいが振舞われた後、イベントは終了。
まだ参加者たちが回りにいらっしゃるうちから、ストーブのそばでは、スタッフの反省会が始まる。
途中で、まだ残っているお母さんたちから感想を聞いた。

特に印象に残る感想は、ここにくるとお母さんたちがリラックスし、癒されるという意見が多いことだ。
子供対象といいながら、実は親御さんたちが、のんびりゆったりのスタッフのあり方やイベントの進め方に触れて、というか巻き込まれて、のんびりゆったり過ごされるようになってきているのが良いらしい。

更には、普段は自分たちだけの親子関係しか見ていなかったのが、ここに来て多の沢山の親子のあり方や関わり方に触れて、自分の親子関係を見直したり学んだりすることが多いようなのだ。
お母さんたちがリラックスしてくるにつれ、子供さんたちもリラックスし、お互いの関わりも開放的になってくることが相乗的に働いて、参加者の皆さんに多くの気づきと変容を起こすようになってきているようなのだ。

終わりのスタッフミーティングの輪の中にも、何度か子供たちが入ってきて話し始めたり、折り紙をくれたり、今日の体験を描いた絵を見せに来てくれたりした。その態度がいかにも自由で屈託ない。

最初は参加した子供さん3人、親御さん2人から始まったこの子供イベントの参加者が、回を追うごとに増えて、今では毎回30人近くにまでなって来たのも、単に楽しいからだけではなく、大家族的なつながりの中で始めて体験できるなんとも言えぬくつろぎと安心感、そして参加者同士の関わり合いから生まれるお互いの気づきや成長の価値が認識され、口コミ的に広がってきたからではないかと思う。

前回のブログにも書いた、子供たちが成長過程で人と人の関係性から学ぶ機会が大幅に減ったことも、目には見えないがきわめて大きな損失であり、社会的な欠陥にさえなりつつあると、私は思う。
その影響はうでにここに来られている若いお母さんたちにも及んでいたのであろう。
回を重ねて、ここでの学びが進むにつれ、ここでのイベントが、そのような状況に一つの解決策を提示しているのではないかと思えてきたのである。

参考までに、次回のこのイベントのご案内をしておこう。
★開催日:2月19日(土)10:00~15:30
★会場:美作賢治の楽交(岡山県久米郡美咲町金堀562)
★参加費:500円
★問い合わせ申し込み:前原ひろみ Tel/Fax:0868-66-2133
W-mail:ru57727@sage.ocn.ne.jp


★少し堅い話になるが、今回の話に絡めて、私が従来から叫び続けてきた、社会のあり方転換への持論を、簡単に述べておこうと思う。

高度経済成長期に急速に進展し、今では日本社会の基本的な構造の一つになってしまった核家族少子化により、私たちは余りにも多くのものを失ってしまったのではないかと、私には思えてならない。

伝統的な民族遺産ともいえるさまざまな暮らしの知恵や優れた伝承文化が、大家族の頃のようには伝承されなくなったことは、誰の目にも見えるであろう。
同じように、昔なら簡単にそばにいるおばあちゃんやおばさんたちに聞けた子育ての知恵や知識も、簡単には聞けなくなって、子育てノイローゼになる若いお母さんたちも多いと聞く。

また、右肩上がりが当然とされる経済原理中心の成果主義、能力主義の競争社会のあり方が生み出した知識技術以外の人間性も含めたトータルな人間観の喪失や、人間を単なる生産と消費の機能としてだけ評価し人間性そのものを軽視する社会のあり方が、学校の成績が悪かったり会社での業績が上げられないだけで自分の存在価値を見失うような若者群を生み出してしまったことが、今日の多くの社会問題の基盤になっていると思われる。

このような状況下で、自分とは何者で、何を目的に生きたいのか、などという自己観が未成熟で、マニュアルや人の命令が無いと動けなかったり、ちょっと抵抗に会うとすぐ挫けてしまう若者が増えているのも当然であろう。
自己承認が低くて周りの顔色を見ながらでないと動けず、対人関係能力を磨くチャンスも無く大人になり、人とどう繋がって良いのかわからない若者たちが、ニートになったり引きこもりになるのは必然的な結末ではないのか。

この国を蘇らせ、お互いに居心地の良い温かさに満ちた社会を構築するためには、
1.混迷の時代を生き抜く強さをもち、
2.従来の経済効率重視の社会の在り方に代わる人間重視のあらたな社会を創造するような自由で創造的な観点とたくましさを備え、
3.人々と繋がる能力を十分に育んだ若者たち
の育成が急務だと信じる。

このような認識に立つとき、私たちは、今こそ改めて「人は人によって育まれる」ということの大切さを見なおさねばならないと強く思う。
そのための教育の場作りや、機会の提供を 社会全体で考える必要があると思う。

私も、そのために自分の出来ることを続けていこうと思っている。

ごく一部の田舎などに、今でも大家族で暮らしておられるご家族は、国宝のような存在だと、私は思う。

しかし、もうそのような存在にだけ頼っている時代ではない。
いつもお世話になっている、加古川市の老人大学院でも、毎回お話していることだが、
幼い頃大家族の中で暮らすよさを体験してきた高齢者の皆さんにも、このような事情を理解していただき、若者たちを巻き込んだ多世代交流や、暮らしに根ざした大家族的な関わり合いの場作りに尽力していただくために、もう歳だからなどと言わず、ぜひもう一働きをお願いしたいと思う。
大家族のよさを実感をしたことがあるのは、皆さんしかいないのだから

by mahorobanokimi | 2011-01-27 12:57 | 新しい社会の在り方に向けて

by mahorobanokimi