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老いの春を、煌いて生きる

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悔いなく生き切ることを目指す79歳の青春日記

東日本大震災から2週間

あの地震から2週間が経った。
ずいぶん長い時間だったような気がする。

東日本大震災の翌日には、福島飯館村に住む旧友から電話が入り、「原発の事故を知って即、家を出てきた。今は静岡の親戚に居るが、差し支えなければ、これから私のところに避難して来たい。」とのこと。
もちろん喜んで、と即答。9ヶ月の幼子を含む3人の子どもを連れての長旅は大変なことだろう。

妻はすぐに布団の用意や、使ってもらう部屋を整える作業に入り、私は当座の食料などを買出しに走る。
原発事故は相当ひどいらしい。買い物に走る私の脳裏には、今後放射能汚染が広がるにつれ、国を挙げての大疎開が始まるイメージが浮かんで離れない。
それにつれて、幼い日、戦火を逃れて田舎に疎開した頃のことなども思い出した。

しかし、買い物を済ませて家に戻ってみると状況は変わっていた。
友人が脱出したことを知った、その仲間たちが、続々福島を離れ彼を追ってきたので、予定を変更して、以前から彼が関わっていた三重県青山の愛農学園高校の寄宿舎に入ることにしたとのこと。
結局総勢36人になり、全員が一旦寄宿舎に落ち着いたようだ。
しかも、今後続いてやってくるであろう被災者たちの受け入れのために、学園や地域が協力して態勢作りをするので、友人には、そのまとめ役として三重にとどまって欲しいとの要請があり、当分岡山には来ないということになった。
長年NGOで海外で指導者として働いてきた彼の人望と手腕を考えれば、至極当然であり、また彼としても、仲間が沢山集まってきているのに、自分たちの家族だけで岡山に来るのを潔しとしない気持ちだということも分かった。


さあ、友人一家をお迎えするぞ、と張り切っていただけに、ちょっと拍子抜けの感もあったが、これは一友人に囚われず、もっと広い観点から、被災者へのお手伝いを考えよというメッセージだな、と理解した。
そこで、ちょうど折りよく吉備津彦神社の西江さんから被災者受け入れ支援活動団体「おいでんせぇ岡山」立ち上げの情報をもらったので、即座に参加を決めた。

ミクシィに立ち上げられたコミュニティーを中心に、情報交換しながら初会合に向けて準備を進めた。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5530190

一方、被災者がいつごろ、どのような規模で疎開し始めるかを予測しようと思って、インターネットをフルに利用して、情報を収集した。
テレビも新聞も無い我が家では、インターネットが最大の情報源である。

様々な情報に触れて、驚いたことがある。それは政府や東電、NHKの公式発表がいかにあいまいで、隠し事が多いかということであった。
地震と津波でずたずたに傷ついた人々への配慮と、パニックを避けたい心理だということは分かるが、政治かも専門家や学者などと称する人たちも、大したことではないように見せかけようとする姿勢が丸見えであった。

それに引き換え、自らが原子炉の開発や設計に関わった心あるOBの人たちの真摯な姿勢と、連日くたくたになっても懸命に発信し続ける姿勢には頭の下がるものがあった。
自らの至らなさや、危険を予測し安全策を提案したのに、丈夫の採算重視の立場から握りつぶされてしまった悔しさがにじみ出ていた。

このようなメジャーでない立場からの事故の判断や警告が、日増しに現実になりつつある。
原子力政策を推進していく中で、トータルに安全を考える責任部門や責任者が誰も居なかったという、わが国の組織構造も明確になってきた。

そんな中で、20日夜「おいでんせぇ岡山」の第1回のミーティングが吉備津で開かれた。
特に招集をかけたわけでもないとのことだったが、ふたを開けたら30数名の人が集まり、会場の喫茶店ははちきれそうになった。
東日本大震災から2週間_a0080610_265834.jpg

呼びかけ人の吉備津彦神社西江さんやYUYUさん始め、市会議員やNPO代表など、社会的に忙しく活動している人たちも多い。
また難波さんや橘の女将さん、カッパさん夫婦、中島さんなどスローライフネットワーク岡山のメンバーも参加している。
東日本大震災から2週間_a0080610_23148.jpg

そして、仙台から避難してきた2組のご家族も同席して、被災現地の生々しい情報を聞かせてくださった。
この日は、参加者一人ひとりがどのような思いで参加し、どのようなサポートが提供できるかをシェアーしあうだけでほとんどの時間を使ってしまい、あとは情報網やHPの立ち上げの予定を立てるくらいで終わった。

おいでんせぇ岡山の第2回のミーティングは27日18:00~21:00吉備津彦神社・中山会館で開かれる。
参加したい方は誰でもOK.予約も必要ない。地図は http://bit.ly/eZSAdL

翌日早速この事態をスローライフネットワーク岡山メンバーの山陽放送のスタッフさんに連絡したら、入れ違いに、この日西江さんたちにインタビューされていたとのことで、展開の速さに驚いた。

私が今できることとして、賃貸古民家を探し出し、被災者とのマッチングのお手伝いをすることを考えていたので、知り合いの地元町議さんに相談したら、二つ返事で協力してくださることになった。
おいでんせぇ岡山の人々といい、この町議さんといい、人々は本当に温かいなあと感動する。

東日本大震災による多くの方々の犠牲と、計り知れない破壊、そして寒さの中で今なお不自由な避難所暮らしを続けている30万人もの方々の苦しみ、それらを考えると私の胸は打ちひしがれそうになる。
しかし、残された人々が直面している放射能汚染の危機を考えれば、ひしがれている暇は無い。
私は、場合によって東日本全部が西日本に集団疎開しなければならない事態もありうると思っている。

もしそこまで事態が進むとすれば、否応なく全国民が、助け合い与え合うコミュニティー的な暮らしをせざるを得なくなる。
お互いにエゴを捨てて、お互いの幸せに貢献することに喜びを感じるような社会を一気に実現するチャンスが来る。
自然に「お金の要らない国」になっていくかもしれない。
そして、少なくとも、原発は全廃しようという国民的合意が出来るであろう。

一人ひとりが、自分が生きている意味と向き合い、人とつながって生きる中で、本来の自己を輝かせて生きる世の中を実現するきっかけになるとすれば、東日本大震災の未曾有の犠牲者の方々への、せめてもの餞になるのではないだろうか。

そんな思いを胸に、いずれ続々とやってくるであろう疎開の人たちのために、今日も私は春野菜作りの準備にいそしんでいる。
by mahorobanokimi | 2011-03-25 02:36 | 新しい社会の在り方に向けて

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