おいでんせぇ✩岡山的毎日(1)
19日(火)は、夕方から「おいでんせぇ✩岡山」のメンバーである山川さんから、被災者グループに使ってもらいたいと提案された学生寮を見に行かせてもらった。
山川さんは歴史学の教授であるが、バリの農村のコミュニティーに興味を持って、何年も研究して来られていて、親密なコミュニティーのもつ安心感やぬくもりの価値を体感しておられるとのこと。
その体験から、はるかに故郷を離れて来る被災者の方たちの不安や寂しさを思うと、少なくとも慣れるまでは、近隣の色んな世代の人たちが集団で疎開してきて、プライバシーを確保しながらも、コミュニティー的な暮らしが出来る環境を提供できたらいいのではないかと考え、震災以来、学生の新たな受け入れをストップして下さっているとのことであった。
東京における松陰コモンズやコレクティブハウスかんかん森、コレクティブハウス聖蹟など、多世代協同住宅の成功例が、そのことを裏付けているように思われる。
阪神大震災のとき、神戸市が高齢者だけのコレクティブ・ハウスを作ったことが結果的に失敗だったと、コレクティブハウジング事業推進応援団主催の石東直子先生から伺っていたので、今回の山川さんのご提案には頷けるものが有る。
伺った学生寮は京山公園近くの住宅街の中にあった。
鉄筋コンクリート3階建ての落ち着いた雰囲気の学生寮で、山川さんは古いと言われたが、メンテナンスが行き届いていて、明るく清潔感があふれていた。
現在6畳の個室が16室と管理者用の2DKの住戸とが空いているとのことで、30人以上の共同生活が可能だと思われる。
食堂や風呂場などのコミュニティースペースも確保されており、共同生活における対人関係の調和や暮らし方のルールなどの調整役をする明確な意図を持った人がいれば、快適なコ・ハウジングが可能になるのではないかと思われる。
恐らくこのような暮らし方は、核家族化によって失われた、人々の繋がりがもたらす安心感や助け合いを回復するとともに、人々特に子どもや若者たちが、関係性から学ぶという貴重な体験を重ねる機会を提供することになるだろう。私個人としても、関係性から学ぶ重要性についての従来からの持論が実証されたら、こんなに嬉しいことはない。
山川さんに寮を見せていただいた後は、「おいでんせぇ✩岡山」の支援住宅班のミーティングが待っていた。
会場は、メンバーの木原さんが経営されている楢津のカフェダイニングSALAだった。
この夜は、先日来移住先を探しているマイケルさんにも参加していただき、被災者の気持ちや実際に困っていることなどを聞かせてもらおうという訳だ。
また先日来、自然農をやりたい被災者Tさんの家探しに骨をおってくれていた写真家のタケチン夫妻も参加してくれていた。
空き家を見つけて被災者にご紹介するといっても、なかなか物件は集まらない。先日来のチラシ配りで2千枚からのチラシを配ったけれど、ほとんど反応がない状態で、手持ちの物件はまだまだ少ない。
その上、被災者のニーズと合わせてマッチングを図るためには、各地に分散する物件を実地に調査し、オーナーさんの意向や住宅環境等の付帯条件も含め、的確な情報を集めてくる必要がある。
さらに、被災者からの申し込みを受け、ニーズを把握する受付窓口も明確にしなければならない。
いざ実地に動こうとすると、「おいでんせぇ✩岡山」の内部組織がまったく整っていないという事実に直面せざるを得ないのだ。
この日のミーティングでは、まず地域ごとに住宅班担当者を養成配置すること、そのための教育資料を作り、候補者を集めて研修会をすることや実地に調査の体験をすることなどの必要性が明確になったので、まず私が資料を作成することを決めた。
さらに、被災者の方たちや被災地に発信するためには、「おいでんせぇ✩岡山」のコンセプトをより明確に整理するとともに、ホームページなどでそれを明示する必要があることが話し合われた。
また、被災者の為に独自のHPを作って、すでに物件紹介や援助情報の掲載などを進めている、メンバーの大塚恭子さんから、被災地に向けての発信の必要性や、すばやい住宅情報提供をやる必要がある旨の提案がされた。
しかし「おいでんせぇ✩岡山」により私たちがやりたいのは、単なるお助け部隊ではなく、被災者の方々とともに、新たな国創りをするということであり、その新しい国の在り方の根幹に、従来の効率や成果重視の考え方在り方を見直し、今ここのプロセスそのものを喜びに結ぶという在り方を実践することが望ましいという意見が、ほとんどのメンバーの共感を得たようだった。
私自身も、被災者の方の人柄やビジョンを重視したいと思うし、それに沿う住まいや家主さんをご紹介したいと思う。そのマッチングが自然な流れで調和的に進むようなら、きっと関わる家主さんも移住者の方も、新たな国創りの仲間になりうる人ではないかとも思うから、成果を急がず、このプロセスを丁寧に積み重ねて行きたいと思うのである。
この日参加してくれたマイケルさんからは、定職がなく、保証人もいない上、まだ日本国籍も取れていない彼にとって、家賃を普通に払う積りでも、不動産屋さんで民間の借家を借りることはほとんど不可能に近いという悩みが話された。そこまで理解が及んでいなかったが、被災証明の取れない、従って今はまだ行政からの支援が得られない放射能汚染からの被災者には、様々な難関を覚悟する必要があるのだなと思った。
実地に動き始めることで、私たちは学べる。一歩一歩のプロセスがいかに大切かを実感した夜だったが、同時に、私たちが「おいでんせぇ✩岡山」でやりたいことは、やはり国創りであり、その新しい国での在り方を、今の会の進め方から実践することに意味があるのだということを大半の仲間と共有できたことが、この夜最大の収穫だったと思う。
山川さんは歴史学の教授であるが、バリの農村のコミュニティーに興味を持って、何年も研究して来られていて、親密なコミュニティーのもつ安心感やぬくもりの価値を体感しておられるとのこと。
その体験から、はるかに故郷を離れて来る被災者の方たちの不安や寂しさを思うと、少なくとも慣れるまでは、近隣の色んな世代の人たちが集団で疎開してきて、プライバシーを確保しながらも、コミュニティー的な暮らしが出来る環境を提供できたらいいのではないかと考え、震災以来、学生の新たな受け入れをストップして下さっているとのことであった。
東京における松陰コモンズやコレクティブハウスかんかん森、コレクティブハウス聖蹟など、多世代協同住宅の成功例が、そのことを裏付けているように思われる。
阪神大震災のとき、神戸市が高齢者だけのコレクティブ・ハウスを作ったことが結果的に失敗だったと、コレクティブハウジング事業推進応援団主催の石東直子先生から伺っていたので、今回の山川さんのご提案には頷けるものが有る。
伺った学生寮は京山公園近くの住宅街の中にあった。
鉄筋コンクリート3階建ての落ち着いた雰囲気の学生寮で、山川さんは古いと言われたが、メンテナンスが行き届いていて、明るく清潔感があふれていた。
現在6畳の個室が16室と管理者用の2DKの住戸とが空いているとのことで、30人以上の共同生活が可能だと思われる。
食堂や風呂場などのコミュニティースペースも確保されており、共同生活における対人関係の調和や暮らし方のルールなどの調整役をする明確な意図を持った人がいれば、快適なコ・ハウジングが可能になるのではないかと思われる。
恐らくこのような暮らし方は、核家族化によって失われた、人々の繋がりがもたらす安心感や助け合いを回復するとともに、人々特に子どもや若者たちが、関係性から学ぶという貴重な体験を重ねる機会を提供することになるだろう。私個人としても、関係性から学ぶ重要性についての従来からの持論が実証されたら、こんなに嬉しいことはない。
山川さんに寮を見せていただいた後は、「おいでんせぇ✩岡山」の支援住宅班のミーティングが待っていた。
会場は、メンバーの木原さんが経営されている楢津のカフェダイニングSALAだった。
この夜は、先日来移住先を探しているマイケルさんにも参加していただき、被災者の気持ちや実際に困っていることなどを聞かせてもらおうという訳だ。
また先日来、自然農をやりたい被災者Tさんの家探しに骨をおってくれていた写真家のタケチン夫妻も参加してくれていた。
空き家を見つけて被災者にご紹介するといっても、なかなか物件は集まらない。先日来のチラシ配りで2千枚からのチラシを配ったけれど、ほとんど反応がない状態で、手持ちの物件はまだまだ少ない。
その上、被災者のニーズと合わせてマッチングを図るためには、各地に分散する物件を実地に調査し、オーナーさんの意向や住宅環境等の付帯条件も含め、的確な情報を集めてくる必要がある。
さらに、被災者からの申し込みを受け、ニーズを把握する受付窓口も明確にしなければならない。
いざ実地に動こうとすると、「おいでんせぇ✩岡山」の内部組織がまったく整っていないという事実に直面せざるを得ないのだ。
この日のミーティングでは、まず地域ごとに住宅班担当者を養成配置すること、そのための教育資料を作り、候補者を集めて研修会をすることや実地に調査の体験をすることなどの必要性が明確になったので、まず私が資料を作成することを決めた。
さらに、被災者の方たちや被災地に発信するためには、「おいでんせぇ✩岡山」のコンセプトをより明確に整理するとともに、ホームページなどでそれを明示する必要があることが話し合われた。
また、被災者の為に独自のHPを作って、すでに物件紹介や援助情報の掲載などを進めている、メンバーの大塚恭子さんから、被災地に向けての発信の必要性や、すばやい住宅情報提供をやる必要がある旨の提案がされた。
しかし「おいでんせぇ✩岡山」により私たちがやりたいのは、単なるお助け部隊ではなく、被災者の方々とともに、新たな国創りをするということであり、その新しい国の在り方の根幹に、従来の効率や成果重視の考え方在り方を見直し、今ここのプロセスそのものを喜びに結ぶという在り方を実践することが望ましいという意見が、ほとんどのメンバーの共感を得たようだった。
私自身も、被災者の方の人柄やビジョンを重視したいと思うし、それに沿う住まいや家主さんをご紹介したいと思う。そのマッチングが自然な流れで調和的に進むようなら、きっと関わる家主さんも移住者の方も、新たな国創りの仲間になりうる人ではないかとも思うから、成果を急がず、このプロセスを丁寧に積み重ねて行きたいと思うのである。
この日参加してくれたマイケルさんからは、定職がなく、保証人もいない上、まだ日本国籍も取れていない彼にとって、家賃を普通に払う積りでも、不動産屋さんで民間の借家を借りることはほとんど不可能に近いという悩みが話された。そこまで理解が及んでいなかったが、被災証明の取れない、従って今はまだ行政からの支援が得られない放射能汚染からの被災者には、様々な難関を覚悟する必要があるのだなと思った。
実地に動き始めることで、私たちは学べる。一歩一歩のプロセスがいかに大切かを実感した夜だったが、同時に、私たちが「おいでんせぇ✩岡山」でやりたいことは、やはり国創りであり、その新しい国での在り方を、今の会の進め方から実践することに意味があるのだということを大半の仲間と共有できたことが、この夜最大の収穫だったと思う。
by mahorobanokimi
| 2011-04-26 11:04
| 「あ ほ~庵」日記