シェアハウスをめぐる嵐のような1ヶ月余りを終えて(2)
そして嵐が始まった。
6月6日、妻の由実と共に和気の古民家を訪ね、改めて延藤さんにご案内いただいた。
この日、私たち夫婦は、「この物件をシェアハウスとして活用しよう。」
そして「共同運営という形であっても、その最終責任を私たち夫婦でとろう。」
と言う決意で現場に立っていた。
現場を調べながら、私たちの思いを延藤さんに詳しく伝えた結果、気持ちよく共鳴していただけて、ほっとした。
この日がシェアハウス「やすらぎの泉」にゴーサインが出た記念すべき日となった。
この日の気持ちを、延藤さんが簡潔に記録しておられる。
http://blog.livedoor.jp/m-37_77162/archives/51855444.html
やるという決意の元に改めて物件を調査するにつれ、
妻 由実の視点が鋭敏に働き出した。
その結果分かったことは、
男である私や延藤さんではなかなか分からなかった部分なのだが、
各部屋に散在する不要な家具や品物をどう片付けるかも考えず、
掃除やさんに出しても効果的な掃除は出来なさそうだということや、
傷んだ畳の処置もせずに消毒しても意味が無いことなどだった。

改めて、家の中を詳細に見てみると、
納戸部屋は処分すべき不用品や壊れた家具などが詰め込まれた上 埃まみれだし、
各部屋に散らばった汚れ傷んだ家具や壊れたままの電化製品、
どうみても使えそうに無い不用品などが思った以上に多い。
古民家には有りがちなことだが、
照明器具もほとんど付け替える必要がありそうだし、
スイッチやコンセントの類、そして給水施設なども明らかに不足が多い。
その上、壁はあちこち穴が開き、子供さんたちが張ったであろうシールの後も無数に残され醜い状態になっている。
カーテン類も全部新調しないと無理なようだ。襖障子はもちろん全部張替えが必要だし、修理が要るものも大分ある。

一見きれいに見えるDKも、床はブカブカで、安全のためコンパネがばらばらに並べられており、
流し台はさび付き、扉は壊れている。周りの壁や出窓は木が腐って今にも穴が開きそうな状態だった。
放射能の不安におびえ、心身ともに疲れ切って避難してこられる母子さんに、
この古民家に安心して入居していただき心地よく暮らしていただくためには、
掃除や不用品の片づけを徹底的に行い
相当な改装や修理を加える必要がありそうだと言うことが、だんだんにはっきりしてきた。
これらのことがはっきりしてきて、相当の予算が必要なことも分かってきたが、
私たち夫婦にとって もはや引き返すと言う選択は無かった。
見積もりのオーダーをお願いした延藤さんにも、
また見積もりをしてもらった地元業者さんにも申し訳なかったが、
あまり効果のなさそうな掃除の外注をとりあえずキャンセルしてもらった。
その日から、まず初期投資の資金調達に注力した。
幸い「おいでんせぇ岡山」の内部でも計画への理解が得られ、相当な資金が廻してもらえた。
また、少し立ってから延藤さんが準備して下さっていた資金のほか、
教会の教区からも寄付を頂くことができたお陰で、
共同運営する両者から同額の資金を供出していただく結果となった。
すぐに掃除や片付けにかかりたかったが、8日は「あ ほ~庵」開放日をやり、

9日は親友Kさんの協力で朝一番に最初のゴミ出しをしたものの、
その後は、幼い子供さんの受け入れに何が必要かを学びに
子育て支援グループ「ハピママ」石川代表に会いに行き、


(子育て応援団パピママ さんhttp://papymama.com/ )
10日は「あ ほ~庵」での由実主催のヒーリング勉強会、
11~12日は 大阪で開かれた我が友入江富美子さん(ふ~ちゃん)の監督作品「天から見れば!」の初上映会に駆けつけ
夫婦でボランティアスタッフをやり、


と立て続けのスケジュールで、本格的に掃除に入ったのは13日からだった。

朝からまたKさんの大奮闘。
庭の池に子供さんが落ちても大丈夫なようにと、自ら水に浸かって池の掃除と水抜きにチャレンジ、
完全に抜くまで後一歩ではけ口が分からず、この日は終了。
この辺りの様子は延藤さんのブログが良く伝えて下さっている。
http://blog.livedoor.jp/m-37_77162/archives/51857446.html
この後の一週間は、私たち夫婦とKさん、
そして若干の「おいでんせぇ岡山」のスタッフによる地道な掃除とゴミ出し、
不用品処分が、延々と続いた。
そして徐々に家の中は足の踏み場がある状態に変わっていった。


14日にはおいでんせぇ岡山のミーティングで、進捗状況を報告し、仲間達からも力強いエールを貰った。


15日には自然農のできる土地を探して移住したいと言うご夫婦の訪問があった。
16日には、前から連絡を取り合っていた、東京からの移住希望被災者のSさんが登場。
18日の「あ ほ~庵」開放日に参加するとともに、その翌日から「やすらぎの泉」の掃除や修繕にボランティアとして参加することになった。
17日には、友人の不動産屋さんTさんが知人の畳屋Kさんを連れてきて下さって、
なんと懸案だった傷んだ畳の代わりになる、しっかりした中古畳を15枚も下さることになった。
ありがたい!貴重な予算が大きく節約できると、ほっと胸をなでおろした日であった。


こつこつと床を貼り、壁を直し、ペンキを塗る日々が続いた。
古民家は着実にエネルギーが変わり始めていたが、
オープンまで後10日余りになっても、まだまだやることは山のようにあった。
深夜、埃まみれでに帰ると、
まず塩と酒で体を清めシャワーを浴びてから深夜の食事を取るのが日課になっていた。

19日の「あ ほ~庵」開放日には、シェアハウスの見学を盛り込み、
この家に多くの皆さんの温かいエネルギーを流していただくことができた。
日にちも予算も限られている。
このままのやり方でも それなりのオープンはできる。
でも何とか、避難してこられる被災者さんたちに、気持ちよく入っていただける「やすらぎの泉」にしたい。
そんな強い思いから、この開放日の前日つまり17日に、
私たちは「おいでんせぇ岡山」の登録者全員に、
「やすらぎの泉」の計画と情報、そして応援が欲しいことを強く発信した。
それをみたNさんは、自分の持っている300人余りのMLグループにも、すぐに転送してくださった。
その結果、思いもかけないことが起き始めた。
7月20日を境に、多くのボランティアさんの支援が、嵐のように一気に入り始めたのだった。
http://blog.livedoor.jp/m-37_77162/archives/51860784.html
少数の仲間や知人の助けを借り、私たち夫婦や延藤さん夫妻と、
こつこつと掃除をし、ゴミや不用品を片付け、
風通しが良くなり始めたこの家の修理・改修も、新たな次元に入ることになったのだ。
6月6日、妻の由実と共に和気の古民家を訪ね、改めて延藤さんにご案内いただいた。
この日、私たち夫婦は、「この物件をシェアハウスとして活用しよう。」
そして「共同運営という形であっても、その最終責任を私たち夫婦でとろう。」
と言う決意で現場に立っていた。
現場を調べながら、私たちの思いを延藤さんに詳しく伝えた結果、気持ちよく共鳴していただけて、ほっとした。
この日がシェアハウス「やすらぎの泉」にゴーサインが出た記念すべき日となった。
この日の気持ちを、延藤さんが簡潔に記録しておられる。
http://blog.livedoor.jp/m-37_77162/archives/51855444.html
やるという決意の元に改めて物件を調査するにつれ、
妻 由実の視点が鋭敏に働き出した。
その結果分かったことは、
男である私や延藤さんではなかなか分からなかった部分なのだが、
各部屋に散在する不要な家具や品物をどう片付けるかも考えず、
掃除やさんに出しても効果的な掃除は出来なさそうだということや、
傷んだ畳の処置もせずに消毒しても意味が無いことなどだった。

改めて、家の中を詳細に見てみると、
納戸部屋は処分すべき不用品や壊れた家具などが詰め込まれた上 埃まみれだし、
各部屋に散らばった汚れ傷んだ家具や壊れたままの電化製品、
どうみても使えそうに無い不用品などが思った以上に多い。
古民家には有りがちなことだが、
照明器具もほとんど付け替える必要がありそうだし、
スイッチやコンセントの類、そして給水施設なども明らかに不足が多い。
その上、壁はあちこち穴が開き、子供さんたちが張ったであろうシールの後も無数に残され醜い状態になっている。
カーテン類も全部新調しないと無理なようだ。襖障子はもちろん全部張替えが必要だし、修理が要るものも大分ある。

一見きれいに見えるDKも、床はブカブカで、安全のためコンパネがばらばらに並べられており、
流し台はさび付き、扉は壊れている。周りの壁や出窓は木が腐って今にも穴が開きそうな状態だった。
放射能の不安におびえ、心身ともに疲れ切って避難してこられる母子さんに、
この古民家に安心して入居していただき心地よく暮らしていただくためには、
掃除や不用品の片づけを徹底的に行い
相当な改装や修理を加える必要がありそうだと言うことが、だんだんにはっきりしてきた。
これらのことがはっきりしてきて、相当の予算が必要なことも分かってきたが、
私たち夫婦にとって もはや引き返すと言う選択は無かった。
見積もりのオーダーをお願いした延藤さんにも、
また見積もりをしてもらった地元業者さんにも申し訳なかったが、
あまり効果のなさそうな掃除の外注をとりあえずキャンセルしてもらった。
その日から、まず初期投資の資金調達に注力した。
幸い「おいでんせぇ岡山」の内部でも計画への理解が得られ、相当な資金が廻してもらえた。
また、少し立ってから延藤さんが準備して下さっていた資金のほか、
教会の教区からも寄付を頂くことができたお陰で、
共同運営する両者から同額の資金を供出していただく結果となった。
すぐに掃除や片付けにかかりたかったが、8日は「あ ほ~庵」開放日をやり、

9日は親友Kさんの協力で朝一番に最初のゴミ出しをしたものの、
その後は、幼い子供さんの受け入れに何が必要かを学びに
子育て支援グループ「ハピママ」石川代表に会いに行き、


(子育て応援団パピママ さんhttp://papymama.com/ )
10日は「あ ほ~庵」での由実主催のヒーリング勉強会、
11~12日は 大阪で開かれた我が友入江富美子さん(ふ~ちゃん)の監督作品「天から見れば!」の初上映会に駆けつけ
夫婦でボランティアスタッフをやり、


と立て続けのスケジュールで、本格的に掃除に入ったのは13日からだった。

朝からまたKさんの大奮闘。
庭の池に子供さんが落ちても大丈夫なようにと、自ら水に浸かって池の掃除と水抜きにチャレンジ、
完全に抜くまで後一歩ではけ口が分からず、この日は終了。
この辺りの様子は延藤さんのブログが良く伝えて下さっている。
http://blog.livedoor.jp/m-37_77162/archives/51857446.html
この後の一週間は、私たち夫婦とKさん、
そして若干の「おいでんせぇ岡山」のスタッフによる地道な掃除とゴミ出し、
不用品処分が、延々と続いた。
そして徐々に家の中は足の踏み場がある状態に変わっていった。


14日にはおいでんせぇ岡山のミーティングで、進捗状況を報告し、仲間達からも力強いエールを貰った。


15日には自然農のできる土地を探して移住したいと言うご夫婦の訪問があった。
16日には、前から連絡を取り合っていた、東京からの移住希望被災者のSさんが登場。
18日の「あ ほ~庵」開放日に参加するとともに、その翌日から「やすらぎの泉」の掃除や修繕にボランティアとして参加することになった。
17日には、友人の不動産屋さんTさんが知人の畳屋Kさんを連れてきて下さって、
なんと懸案だった傷んだ畳の代わりになる、しっかりした中古畳を15枚も下さることになった。
ありがたい!貴重な予算が大きく節約できると、ほっと胸をなでおろした日であった。


こつこつと床を貼り、壁を直し、ペンキを塗る日々が続いた。
古民家は着実にエネルギーが変わり始めていたが、
オープンまで後10日余りになっても、まだまだやることは山のようにあった。
深夜、埃まみれでに帰ると、
まず塩と酒で体を清めシャワーを浴びてから深夜の食事を取るのが日課になっていた。

19日の「あ ほ~庵」開放日には、シェアハウスの見学を盛り込み、
この家に多くの皆さんの温かいエネルギーを流していただくことができた。
日にちも予算も限られている。
このままのやり方でも それなりのオープンはできる。
でも何とか、避難してこられる被災者さんたちに、気持ちよく入っていただける「やすらぎの泉」にしたい。
そんな強い思いから、この開放日の前日つまり17日に、
私たちは「おいでんせぇ岡山」の登録者全員に、
「やすらぎの泉」の計画と情報、そして応援が欲しいことを強く発信した。
それをみたNさんは、自分の持っている300人余りのMLグループにも、すぐに転送してくださった。
その結果、思いもかけないことが起き始めた。
7月20日を境に、多くのボランティアさんの支援が、嵐のように一気に入り始めたのだった。
http://blog.livedoor.jp/m-37_77162/archives/51860784.html
少数の仲間や知人の助けを借り、私たち夫婦や延藤さん夫妻と、
こつこつと掃除をし、ゴミや不用品を片付け、
風通しが良くなり始めたこの家の修理・改修も、新たな次元に入ることになったのだ。
by mahorobanokimi
| 2011-07-26 09:04
| おいでんせ・やすらぎ関連