シェアハウスをめぐる嵐のような1ヶ月余りを終えて(4)
時間の長さではない、と実感した日々。
6月20日に支援の人たちが来始められてから1週間が経った。

出しても出しても次のゴミが山になっていた状態が山を越し、懸案だった古畳の処理も、連日献身的にゴミ処理に協力してくださってきたKさんの骨折りで解決され、家の横の通路や家の周りも次第にすっきりと整って来ていた。


求めに応じて洗濯機や布団、炊飯器などの電化製品も日増しに充実していった。
毎日めまぐるしいくらい人が来てくださって、自主的に場所を選んで掃除してくださったり、修理してくださったり、建具の張替えをしてくださったり・・・日増しに「やすらぎの泉」は整いつつあった。

畳がすべて整い、壁の穴などもほとんど修理を終わって、やっと「やすらぎの泉」の室内も、足の踏み場が無いという状態から脱し始めて、建具の張替えなどに大きなスペースが使えるようになってきていた。
終始にこやかな微笑を絶やさないKさんは、昔取った杵柄か、建具の張替えの手さばきもなかなかのもの。

沢山寄せられていた食器類も、水屋などが整備されて、やっと洗ったものを収納できるようになり、室内の雰囲気が家らしさを取り戻しつつあった。

Tさんは広島の尾道から駆けつけて、黙々と風呂場を磨き上げて、さりげなく帰られた。
無償のボランティアで、掃除をするために長距離車を走らせ、何の見返りも期待せずに、さりげなく帰っていかれる後姿に、思わず手を合わせたくなるのだった。

和気教会の皆さんも、この家の変化を優しく見守り、次第にすっきりしていく姿に祝福を贈って下さっているようだった。

また、同じくこの地域の皆さんも、この家に注目をしてくださっているようで、気さくに入ってきて、話しかけてくださる。
シェアハウスの誕生が地域の方々にも注目され、歓迎されるのは、本当にありがたいことだなあと思った。
来られた中のある方が教えてくださった。
「この家が昔は「松の家」と名づけられ、貧しくて行き場の無い女性たちに、暮らしと仕事の場を提供していたのよ。」
話を聞きながら、私は思った。
大家さんの先々代さんが建てられたこの家は、当初から女性を救う役割をもって生まれてきていたのだろうか?だとしたら今、この家自身も喜んでいるのだろうな。
26日の夕方の風景である。壁も天井も、戸棚も白いペンキで塗り上げられ、床にはCFシートが美しく貼られたDKも、やっと机の上まで片付いて、作業の合間にほっと一息入れるのにも相応しい空間になってきた。

Oさんも常連のように日参される熟年組みの一人。内装会社の社長さんだけに、お願いしなくても、さっさと家の内外を見て回り、改装箇所を自主的に見つけては、黙々と改装や修理をしていかれる。
寡黙で、気難しい人なのかなあ、などと思うと大間違い。いたずらと冗談が大好きで、いつもユーモアを忘れない。きっと子供が好きでたまらない方なのに違いないと思った。

同じく常連のYさんも、花の熟年組み。
ゴミと瓦礫と埃にまみれ、野良猫の尿臭が一杯の洗濯機室に給湯と水道をかねた蛇口を増設し、外台所とも言えるすっきりした空間に仕上げたのは、主にこのYさんの働きだった。

時にはYさんの奥様も来られて、私たちを楽しい会話で激励してくださった。健康上の理由で作業は手伝えないけれど、せめて元気な口で、と笑わせてくださる奥様。
Yさんの献身的な活動も、こんな奥様の支えがあればこそ。今まで私は気づかなかったが、ここに来てくださっている皆さん一人ひとりの後ろには、この奥様のように支えて下さっているご家族などが居られるななあ、といまさらながら思い至ったのであった。

どんどん修理や改造工事が進んでも、私たちが不慣れなせいで 電気や水道などの追加工事や改善作業の必要が、後から後から見えてくる。その結果、ボランティアさんたちに、またお願いすることが増える。
電気関係を引き受けてくださっているKaさんは、やはり花の熟年組みの一人で、そんな私たちのお願いも相変わらずにこやかに引き受けて、黙々とボランティアを続けてくださっている。

Koさんは、子育てや農作業の合間を縫って、山道を走ってきて、今日も黙々と襖貼りを続けてくださっている。
古民家の建具は、釘などがさび付いていて、框や引き手を外すのも困難が多く、張替えには注意力と根気が必要になるが、Koさんはその必要を満たして、実に手際よく張替え作業をこなして行って下さる。
襖や障子が新しくなるので、家は目に見えて明るく美しくなっていく。

今回の改装の当初から、ゴミ処理や池掃除、古い門の解体片付けなどで連日大活躍のKeさんは、実はとっても繊細な芸術家なのだ。
いつも全体や相手の状況を的確に把握していて、まったく無駄のない動きで、周りに協力したり自分の作業を進めていかれる。
花の熟年組よりはやや若い50台後半だが、ユーモアでは負けていない。ただこの人のジョークは時に高尚過ぎて、相手がついていけないこともあるのが、また楽しい。


SさんとMさんのお二人も、いつも仲良くやってきて、どんなことも厭わずに、楽しげに働いてくださる。
こんなお二人を見ていると、働くと言うのは傍楽と言うことでもあるのだなと思わせられる。

Taさんは、総社で自然食の料理屋をやっておられる。週3回透析を受けながら、店を運営し、時には健康指導の講演に出向く超忙しいお上さんだ。
そんなTaさんだが、自分が古民家を改装して店を出すとき、実に多くの皆さんがボランティアに来て、献身的に手伝ってくださった恩が忘れられず、自分もこんな機会に手伝いたいと思ってやってきたのだとおっしゃる。
「朝、目が覚めると今日も生きているわ!と思うの。そうすると生かされている喜びや、人々に支えられて働ける感謝が溢れてきて、じっとしていられなくなるのよ。少しでもお人のお役に立てると思うと嬉しくて仕方がないんだもの。」
自分の体のしんどさ等おくびにも出さず、楽しげに話しながら実に手際の良い仕事ぶりで障子の張替えをやってくださるTaさんに接しながら、歳はとっても、ずっと健康で来た私に、これだけの感謝や喜びがあっただろうか・・・と思わずわが身を省みる。
さりげなくボランティアしてくださるお一人お一人にも、きっとこんな人生のドラマがあり、すばらしい人生観があるのだろう。

まるで込み合う交差点のように、ここ数日の「やすらぎの泉」には実に多くの方々が集まり、すれ違っていかれる。
そのお一人お一人に、人生のドラマがあり、それぞれの人生観があるに違いない。
通り過ぎる日々が一瞬のようにも思えるが、ふれあいすれ違っていく仲間たちそれぞれの素晴らしさに意識を向けると、これほど豊かな可能性に満ち、充実した時間もめったに無いような気がしてくる。
時間の長さじゃないんだなあ・・・・と改めて思った。
6月20日に支援の人たちが来始められてから1週間が経った。

出しても出しても次のゴミが山になっていた状態が山を越し、懸案だった古畳の処理も、連日献身的にゴミ処理に協力してくださってきたKさんの骨折りで解決され、家の横の通路や家の周りも次第にすっきりと整って来ていた。


求めに応じて洗濯機や布団、炊飯器などの電化製品も日増しに充実していった。
毎日めまぐるしいくらい人が来てくださって、自主的に場所を選んで掃除してくださったり、修理してくださったり、建具の張替えをしてくださったり・・・日増しに「やすらぎの泉」は整いつつあった。

畳がすべて整い、壁の穴などもほとんど修理を終わって、やっと「やすらぎの泉」の室内も、足の踏み場が無いという状態から脱し始めて、建具の張替えなどに大きなスペースが使えるようになってきていた。
終始にこやかな微笑を絶やさないKさんは、昔取った杵柄か、建具の張替えの手さばきもなかなかのもの。

沢山寄せられていた食器類も、水屋などが整備されて、やっと洗ったものを収納できるようになり、室内の雰囲気が家らしさを取り戻しつつあった。

Tさんは広島の尾道から駆けつけて、黙々と風呂場を磨き上げて、さりげなく帰られた。
無償のボランティアで、掃除をするために長距離車を走らせ、何の見返りも期待せずに、さりげなく帰っていかれる後姿に、思わず手を合わせたくなるのだった。

和気教会の皆さんも、この家の変化を優しく見守り、次第にすっきりしていく姿に祝福を贈って下さっているようだった。

また、同じくこの地域の皆さんも、この家に注目をしてくださっているようで、気さくに入ってきて、話しかけてくださる。
シェアハウスの誕生が地域の方々にも注目され、歓迎されるのは、本当にありがたいことだなあと思った。
来られた中のある方が教えてくださった。
「この家が昔は「松の家」と名づけられ、貧しくて行き場の無い女性たちに、暮らしと仕事の場を提供していたのよ。」
話を聞きながら、私は思った。
大家さんの先々代さんが建てられたこの家は、当初から女性を救う役割をもって生まれてきていたのだろうか?だとしたら今、この家自身も喜んでいるのだろうな。

26日の夕方の風景である。壁も天井も、戸棚も白いペンキで塗り上げられ、床にはCFシートが美しく貼られたDKも、やっと机の上まで片付いて、作業の合間にほっと一息入れるのにも相応しい空間になってきた。

Oさんも常連のように日参される熟年組みの一人。内装会社の社長さんだけに、お願いしなくても、さっさと家の内外を見て回り、改装箇所を自主的に見つけては、黙々と改装や修理をしていかれる。
寡黙で、気難しい人なのかなあ、などと思うと大間違い。いたずらと冗談が大好きで、いつもユーモアを忘れない。きっと子供が好きでたまらない方なのに違いないと思った。

同じく常連のYさんも、花の熟年組み。
ゴミと瓦礫と埃にまみれ、野良猫の尿臭が一杯の洗濯機室に給湯と水道をかねた蛇口を増設し、外台所とも言えるすっきりした空間に仕上げたのは、主にこのYさんの働きだった。

時にはYさんの奥様も来られて、私たちを楽しい会話で激励してくださった。健康上の理由で作業は手伝えないけれど、せめて元気な口で、と笑わせてくださる奥様。
Yさんの献身的な活動も、こんな奥様の支えがあればこそ。今まで私は気づかなかったが、ここに来てくださっている皆さん一人ひとりの後ろには、この奥様のように支えて下さっているご家族などが居られるななあ、といまさらながら思い至ったのであった。

どんどん修理や改造工事が進んでも、私たちが不慣れなせいで 電気や水道などの追加工事や改善作業の必要が、後から後から見えてくる。その結果、ボランティアさんたちに、またお願いすることが増える。
電気関係を引き受けてくださっているKaさんは、やはり花の熟年組みの一人で、そんな私たちのお願いも相変わらずにこやかに引き受けて、黙々とボランティアを続けてくださっている。

Koさんは、子育てや農作業の合間を縫って、山道を走ってきて、今日も黙々と襖貼りを続けてくださっている。
古民家の建具は、釘などがさび付いていて、框や引き手を外すのも困難が多く、張替えには注意力と根気が必要になるが、Koさんはその必要を満たして、実に手際よく張替え作業をこなして行って下さる。
襖や障子が新しくなるので、家は目に見えて明るく美しくなっていく。

今回の改装の当初から、ゴミ処理や池掃除、古い門の解体片付けなどで連日大活躍のKeさんは、実はとっても繊細な芸術家なのだ。
いつも全体や相手の状況を的確に把握していて、まったく無駄のない動きで、周りに協力したり自分の作業を進めていかれる。
花の熟年組よりはやや若い50台後半だが、ユーモアでは負けていない。ただこの人のジョークは時に高尚過ぎて、相手がついていけないこともあるのが、また楽しい。


SさんとMさんのお二人も、いつも仲良くやってきて、どんなことも厭わずに、楽しげに働いてくださる。
こんなお二人を見ていると、働くと言うのは傍楽と言うことでもあるのだなと思わせられる。

Taさんは、総社で自然食の料理屋をやっておられる。週3回透析を受けながら、店を運営し、時には健康指導の講演に出向く超忙しいお上さんだ。
そんなTaさんだが、自分が古民家を改装して店を出すとき、実に多くの皆さんがボランティアに来て、献身的に手伝ってくださった恩が忘れられず、自分もこんな機会に手伝いたいと思ってやってきたのだとおっしゃる。
「朝、目が覚めると今日も生きているわ!と思うの。そうすると生かされている喜びや、人々に支えられて働ける感謝が溢れてきて、じっとしていられなくなるのよ。少しでもお人のお役に立てると思うと嬉しくて仕方がないんだもの。」
自分の体のしんどさ等おくびにも出さず、楽しげに話しながら実に手際の良い仕事ぶりで障子の張替えをやってくださるTaさんに接しながら、歳はとっても、ずっと健康で来た私に、これだけの感謝や喜びがあっただろうか・・・と思わずわが身を省みる。
さりげなくボランティアしてくださるお一人お一人にも、きっとこんな人生のドラマがあり、すばらしい人生観があるのだろう。

まるで込み合う交差点のように、ここ数日の「やすらぎの泉」には実に多くの方々が集まり、すれ違っていかれる。
そのお一人お一人に、人生のドラマがあり、それぞれの人生観があるに違いない。
通り過ぎる日々が一瞬のようにも思えるが、ふれあいすれ違っていく仲間たちそれぞれの素晴らしさに意識を向けると、これほど豊かな可能性に満ち、充実した時間もめったに無いような気がしてくる。
時間の長さじゃないんだなあ・・・・と改めて思った。
by mahorobanokimi
| 2011-07-29 00:34
| おいでんせ・やすらぎ関連