シェアハウスをめぐる嵐のような1ヶ月余りを終えて(5)
嵐の終わりの日々
7月2日のオープニングイベントにあと4日と迫るころ、設備や内装担当のボランティアさんも毎日フル稼働となっていった。
家が整うと共に、3家族以上を支える家電や布団、道具などの整備も急ピッチで進んでいた。

朝早くから、Mさんが冷蔵庫を持ってきてくださった。

その冷蔵庫を、早速延藤牧師の夫人知子さんが早速掃除してくださる。
連日共に汗を流した人たちの間には、この頃、なんともいえない家族のような温かい連帯感が産まれつつあった。

マイペースで、思い通りの内装を黙々とやり、キリがつくと皆の所に来て、ぽそっとジョークを言われるOさん。その表情がチョッとはにかんだ腕白坊主のようでなんとも言えず微笑ましかった。


風呂場、洗濯室2箇所、そして台所と給湯や給水栓の増設修理に大活躍のYさん、やや見通しがついて、昼休憩にはギターを持ち出してシンガーソングライターの特技を披露してくださる場面も有った。何とか期日にオープンできる目処のたった私たちも、Yさん自作自演の愛の歌を楽しむゆとりが産まれつつあった。

複数の母子さんが使う台所の整備は重要ポイントの一つ。連日のように、津山から駆けつけてくださるIさんは、主婦の視点から、使い勝手をチェックしながら食器の整備などに余念がない。

久しぶりに水道を使い始めたあらか、元栓が故障してメーターを取り替えてもらう一幕もあった。
和気町役場や業者さんのすばやい対応に感謝した。


我が家に住み込み、連日「やすらぎの泉」に出勤?している被災者のSさんは疲れも見せず、アーティストの本領を発揮し、家の顔作りに大活躍。やってくる子供たちのために、どうしても花を植えておいてあげたいと、自ら土いじりや花壇の整備、そして背景となる家の面格子の塗り替えなどに惜しみなく汗を流してくれていた。

30日には、真新しい布団のセットが広島から送られてきた。布団屋のYさんが母子さんたちのためにと、心をこめて自ら仕立ててくださった綿々布団だった。子供用の布団の柄にも、Yさんの優しい思いが込められてるのを感じ、心が震えた。
(Yさんは、7月に入ってからも、追加の布団を仕立てて贈ってくださった。)
「やすらぎの泉」は仕上げ段階に入り、各部屋とも見違えるように美しく整ってきた。
DKも気兼ねなく弁当を広げられるほどに清潔感をまし、連日深夜まで仕上げに大活躍の妻の顔にもほっとした笑顔が浮かぶ。
限られた予算の中で、壁の汚れや傷みを上手く隠しながら、清潔感のある雰囲気を演出する彼女の感性と創造性は、身内ながら 素晴らしいと思う。


照明器具も全室修理や付け替えが終わり、明るく照らし出された部屋の様子が、外からも良く見えたのだろうか。「中を見せてもらって良いですか?」と見学に来られた近所のご家族も、見違えるようですね、との感想。子供さんたちが気持ちよさそうに走り回られる姿が印象的だった。

最後の詰めを少しでも手伝おうと、忙しい延藤牧師も駆けつけ、布団の整理や荷物の収納を手伝ってくださる。
錆だらけの流しシンクの手入れを担当してくださっているKさんも、最後の仕上げをと深夜に駆けつけて下さった。
このような皆さんの思いが一つに凝縮された結晶のような「やすらぎの泉」に、どのような母子さんたちが入居されるのだろうか?
嵐のような2週間余りが過ぎて、オープンイベントまであと一日となった「やすらぎの泉」の夜は静かにふけ、私たちの心も、やれることをやってきたという満足感に満たされていた。
(私が「やすらぎの泉」にいないときにボランティアしてくださった方々のことは、この連載では取り上げていません。申し訳ありません。また、携帯で写した写真をお借りしているため写真が小さくなっているものもあります。ご了承ください。)
7月2日のオープニングイベントにあと4日と迫るころ、設備や内装担当のボランティアさんも毎日フル稼働となっていった。
家が整うと共に、3家族以上を支える家電や布団、道具などの整備も急ピッチで進んでいた。

朝早くから、Mさんが冷蔵庫を持ってきてくださった。

その冷蔵庫を、早速延藤牧師の夫人知子さんが早速掃除してくださる。
連日共に汗を流した人たちの間には、この頃、なんともいえない家族のような温かい連帯感が産まれつつあった。

マイペースで、思い通りの内装を黙々とやり、キリがつくと皆の所に来て、ぽそっとジョークを言われるOさん。その表情がチョッとはにかんだ腕白坊主のようでなんとも言えず微笑ましかった。


風呂場、洗濯室2箇所、そして台所と給湯や給水栓の増設修理に大活躍のYさん、やや見通しがついて、昼休憩にはギターを持ち出してシンガーソングライターの特技を披露してくださる場面も有った。何とか期日にオープンできる目処のたった私たちも、Yさん自作自演の愛の歌を楽しむゆとりが産まれつつあった。

複数の母子さんが使う台所の整備は重要ポイントの一つ。連日のように、津山から駆けつけてくださるIさんは、主婦の視点から、使い勝手をチェックしながら食器の整備などに余念がない。

久しぶりに水道を使い始めたあらか、元栓が故障してメーターを取り替えてもらう一幕もあった。
和気町役場や業者さんのすばやい対応に感謝した。


我が家に住み込み、連日「やすらぎの泉」に出勤?している被災者のSさんは疲れも見せず、アーティストの本領を発揮し、家の顔作りに大活躍。やってくる子供たちのために、どうしても花を植えておいてあげたいと、自ら土いじりや花壇の整備、そして背景となる家の面格子の塗り替えなどに惜しみなく汗を流してくれていた。

30日には、真新しい布団のセットが広島から送られてきた。布団屋のYさんが母子さんたちのためにと、心をこめて自ら仕立ててくださった綿々布団だった。子供用の布団の柄にも、Yさんの優しい思いが込められてるのを感じ、心が震えた。
(Yさんは、7月に入ってからも、追加の布団を仕立てて贈ってくださった。)
「やすらぎの泉」は仕上げ段階に入り、各部屋とも見違えるように美しく整ってきた。
DKも気兼ねなく弁当を広げられるほどに清潔感をまし、連日深夜まで仕上げに大活躍の妻の顔にもほっとした笑顔が浮かぶ。
限られた予算の中で、壁の汚れや傷みを上手く隠しながら、清潔感のある雰囲気を演出する彼女の感性と創造性は、身内ながら 素晴らしいと思う。


照明器具も全室修理や付け替えが終わり、明るく照らし出された部屋の様子が、外からも良く見えたのだろうか。「中を見せてもらって良いですか?」と見学に来られた近所のご家族も、見違えるようですね、との感想。子供さんたちが気持ちよさそうに走り回られる姿が印象的だった。

最後の詰めを少しでも手伝おうと、忙しい延藤牧師も駆けつけ、布団の整理や荷物の収納を手伝ってくださる。
錆だらけの流しシンクの手入れを担当してくださっているKさんも、最後の仕上げをと深夜に駆けつけて下さった。
このような皆さんの思いが一つに凝縮された結晶のような「やすらぎの泉」に、どのような母子さんたちが入居されるのだろうか?
嵐のような2週間余りが過ぎて、オープンイベントまであと一日となった「やすらぎの泉」の夜は静かにふけ、私たちの心も、やれることをやってきたという満足感に満たされていた。
(私が「やすらぎの泉」にいないときにボランティアしてくださった方々のことは、この連載では取り上げていません。申し訳ありません。また、携帯で写した写真をお借りしているため写真が小さくなっているものもあります。ご了承ください。)
by mahorobanokimi
| 2011-08-02 23:59
| おいでんせ・やすらぎ関連