シェアハウスをめぐる嵐のような1ヶ月余りを終えて(6)
「やすらぎの泉」始動目前

写真は、いよいよ「やすらぎの泉」正式オープンが明日という7月1日、「やすらぎの泉」玄関に掲げられた1文である。
先日来夫婦で考えて纏め上げてきた「やすらぎの泉」の開設趣旨説明文からとって、半紙に走り書きしたものを、Sさんが手際よくアクリのパネルにはさんで、掲げてくれたものである。
愛に満ちた安全な空間の中で、母子さんたちが一緒に暮らすことで、命が繋がる喜びを体験し、お互いが違うことの素晴らしさに気づき、それぞれが今までの暮らしでは眠らせていた可能性やエネルギーを発揮して、人生の新たな次元に歩みだして欲しい。
まず、入居される母子さんたちが放射能への不安から開放され、今ここに生きる喜びを味わい始められることが望ましい最初のステップだと思う。しかし同時に私たちが願うことは、核家族化が当たり前になっている今の社会の中で忘れられ、見失われてきた共同生活の価値を体験し、生かして欲しいということなのだ。
核家族化の進展は人格形成にとっても、対人関係スキル習得にとっても、さらには人々が喜びの中でつながりあい支えあう新たなコミュニティーを形成する基盤づくりという側面から見ても、もっとも重要な「関係性から学ぶ」機会を人々から奪って来た。
現在70歳の私が、幼い頃には大家族は当たり前であり、また疎開生活も体験して、様々な人々とごく近い距離で暮らす日常から、自然に「関係性から学ぶ」ことをやらせてもらってきた。
私たちはすでに昨年1年間の美作賢治の楽交での親子イベントの体験や小さな小学校でのイベント体験から、「関係性から学ぶ」ことの価値を改めて実感してきていた。(このことについては下記をご覧下さい。)
http://mahorobayy.exblog.jp/11996848/
http://mahorobayy.exblog.jp/12001825/
http://mahorobayy.exblog.jp/12155410/
このような機会を失って久しい今、体験のない人たちにいくら口で説明しても、その価値はほとんど理解されないと思われるが、体験されれば嫌でも分かるのではないか、それこそが私たちがシェアハウスを開きたいと思った最大の動機だった。
そんな願いを込めた「やすらぎの泉」は、明日の正式オープンを前に、最後の仕上げに掛かっていた。
ここで、数人の子供たちが兄弟のように楽しげに遊び、不安から蘇った母子さんたちが、楽しそうに対話しておられるイメージが浮かんできて、思わずにやりとしてしまった。

NさんとIさんが朝から沢山の布団や支援物資を運び込んくださった。その上所属するNPOからの寄付を「やすらぎの泉」の資金にと寄せられた。多くの方々の思いがまたこの家に繋がってきた、と嬉しかった。

そのIさんが家に入ると、そこにはずっと内装工事のボランティアをやり続けてくださっているOさんが。
「やあ、あんたもここに来ていたのか?」「いやあんたこそ!」
旧知の方々が、ここにボランティアに来て、再会に驚かれる場面は何度も見てきた。
きっと与える喜びに目覚めた人たちは、みんな同じような波動レベルをもち、同じように新しい社会を創るために働くチャンスを天から与えられている同士であり、過去世でも旧知だったに違いない、などと勝手な想像をめぐらせていた。

県北から何度も足を運んでくださっているIさんが、食器類の点検や収納を細々しく進めてくださる。


Oさんのご好意で懸案だった2階洋間の壁も、美しく張り替えられ、妻が工夫した照明カバーもマッチしている。

まだまだ手を入れたい所はあるが、明日のオープニングには何とかこれで見てもらえるというところまで仕上がったところで、その夜は、延藤牧師のお誘いを受け「やすらぎの泉」向かいの和気教会で開かれる歌の集いに参加した。

始まってみて驚いた。延藤牧師がギターを、知子奥さまがコントラバスを、楽しそうに弾いて居られるのだ。
延藤ご夫妻の、こんな一面も教会員だけでなく地域の皆さんにご夫妻が慕われる要素なのだろうなと思った。
教会員の方を中心に、地域の方々も参加した歌の集いは、とても家庭的で懐かしい唱歌や皆が知っているような歌が選ばれていて、誰もが気楽に唄える楽しさに溢れており、愛に満ちた空間「やすらぎの泉」のオープンを目指す私たちに天からプレゼントされた、楽しい憩いのひと時のように思えた。

写真は、いよいよ「やすらぎの泉」正式オープンが明日という7月1日、「やすらぎの泉」玄関に掲げられた1文である。
先日来夫婦で考えて纏め上げてきた「やすらぎの泉」の開設趣旨説明文からとって、半紙に走り書きしたものを、Sさんが手際よくアクリのパネルにはさんで、掲げてくれたものである。
愛に満ちた安全な空間の中で、母子さんたちが一緒に暮らすことで、命が繋がる喜びを体験し、お互いが違うことの素晴らしさに気づき、それぞれが今までの暮らしでは眠らせていた可能性やエネルギーを発揮して、人生の新たな次元に歩みだして欲しい。
まず、入居される母子さんたちが放射能への不安から開放され、今ここに生きる喜びを味わい始められることが望ましい最初のステップだと思う。しかし同時に私たちが願うことは、核家族化が当たり前になっている今の社会の中で忘れられ、見失われてきた共同生活の価値を体験し、生かして欲しいということなのだ。
核家族化の進展は人格形成にとっても、対人関係スキル習得にとっても、さらには人々が喜びの中でつながりあい支えあう新たなコミュニティーを形成する基盤づくりという側面から見ても、もっとも重要な「関係性から学ぶ」機会を人々から奪って来た。
現在70歳の私が、幼い頃には大家族は当たり前であり、また疎開生活も体験して、様々な人々とごく近い距離で暮らす日常から、自然に「関係性から学ぶ」ことをやらせてもらってきた。
私たちはすでに昨年1年間の美作賢治の楽交での親子イベントの体験や小さな小学校でのイベント体験から、「関係性から学ぶ」ことの価値を改めて実感してきていた。(このことについては下記をご覧下さい。)
http://mahorobayy.exblog.jp/11996848/
http://mahorobayy.exblog.jp/12001825/
http://mahorobayy.exblog.jp/12155410/
このような機会を失って久しい今、体験のない人たちにいくら口で説明しても、その価値はほとんど理解されないと思われるが、体験されれば嫌でも分かるのではないか、それこそが私たちがシェアハウスを開きたいと思った最大の動機だった。
そんな願いを込めた「やすらぎの泉」は、明日の正式オープンを前に、最後の仕上げに掛かっていた。
ここで、数人の子供たちが兄弟のように楽しげに遊び、不安から蘇った母子さんたちが、楽しそうに対話しておられるイメージが浮かんできて、思わずにやりとしてしまった。

NさんとIさんが朝から沢山の布団や支援物資を運び込んくださった。その上所属するNPOからの寄付を「やすらぎの泉」の資金にと寄せられた。多くの方々の思いがまたこの家に繋がってきた、と嬉しかった。

そのIさんが家に入ると、そこにはずっと内装工事のボランティアをやり続けてくださっているOさんが。
「やあ、あんたもここに来ていたのか?」「いやあんたこそ!」
旧知の方々が、ここにボランティアに来て、再会に驚かれる場面は何度も見てきた。
きっと与える喜びに目覚めた人たちは、みんな同じような波動レベルをもち、同じように新しい社会を創るために働くチャンスを天から与えられている同士であり、過去世でも旧知だったに違いない、などと勝手な想像をめぐらせていた。

県北から何度も足を運んでくださっているIさんが、食器類の点検や収納を細々しく進めてくださる。


Oさんのご好意で懸案だった2階洋間の壁も、美しく張り替えられ、妻が工夫した照明カバーもマッチしている。

まだまだ手を入れたい所はあるが、明日のオープニングには何とかこれで見てもらえるというところまで仕上がったところで、その夜は、延藤牧師のお誘いを受け「やすらぎの泉」向かいの和気教会で開かれる歌の集いに参加した。

始まってみて驚いた。延藤牧師がギターを、知子奥さまがコントラバスを、楽しそうに弾いて居られるのだ。
延藤ご夫妻の、こんな一面も教会員だけでなく地域の皆さんにご夫妻が慕われる要素なのだろうなと思った。
教会員の方を中心に、地域の方々も参加した歌の集いは、とても家庭的で懐かしい唱歌や皆が知っているような歌が選ばれていて、誰もが気楽に唄える楽しさに溢れており、愛に満ちた空間「やすらぎの泉」のオープンを目指す私たちに天からプレゼントされた、楽しい憩いのひと時のように思えた。
by mahorobanokimi
| 2011-08-06 07:41
| おいでんせ・やすらぎ関連