シェアハウス開設からの1ヶ月を振り返って(1)
7月2日いよいよ「やすらぎの泉」オープンの日。
私たちの朝は、まず和気神社参拝から始まった。

1200年以上も前に、孤児院をつくり多くの孤児たちをすくわれた、和気出身の広虫姫にご挨拶し、「やすらぎの泉」のお見守りをお願いした。
かって和気氏の寺が建っていた境内の一部に「やすらぎの泉」が建っていることも偶然ではない気がするのだ。
(ちなみに「やすらぎの泉」の南の窓から畑の向こうに見える石塔が、和気寺跡からでた清麿公の称徳碑なのだそうだ。http://wakeasomi.exblog.jp/1128794/)
オープニングを記念するイベントの前に、開設に関わった方々を、「やすらぎの泉」となりの公民館にお招きしての昼食会を開いた。

開設にご協力いただいたボランティアの皆さんと、こうして完成を祝うのは、この上なく嬉しいことではあったが、もう今までのようにしょっちゅうお会いすることはなくなるのだなあと思うと、一抹の寂しさもあった。


延藤牧師と大家の速水さん、このお二人のご協力がなければ、今回のプロジェクト実行はできかっただろう。
こころより感謝するとともに、これからもずっとよろしくとお願いしたいお二人である。
それぞれにかけがえの無いお働きをしてくださっている皆さんの笑顔に見守られて、「やすらぎの泉」が素晴らしい場所に育っていくことが予感された。


午後からは、完成した「やすらぎの泉」のご披露を兼ねた音楽イベントを開いた。



以前をご存知のご近所さんや教会の方は、口々に「見違えるようだ」を連発される。
とにかくお疲れの母子さんたちを、清潔で心地のよい空間にお迎えしたいという私たちの思いは、受け止めていただけるなという実感が湧いてきた。

延藤さんの挨拶から始まったこの日のイベントの主役は、わがおいでんせぇ岡山の誇るデュオ・ヒコヒコのカズさんとゆうゆさん。

二人の楽しい演奏に、自然に踊りだす人たち。庭で遊んでいた子供たちも手拍子をとり始めるシーンもあった。


ヒコヒコの後には、延藤さん、柳川さんなども飛び入りで登場してくださって、楽しさは最高潮に。


そして締めは、水野さんの自力整体で、心身を整えてお開きとなった。


縁側に立って皆を指導する水野さん、それを外から見て、そとでやっている近所の子供さん、これから「やすらぎの泉」で始まる母子さんたちの暮らしも、ご近所さんとのこのように繋がりながら広がっていくのだろうなと感じさせるひとコマだった。
家の南北のすべてが窓や扉になっていて、とにかく風通しの良い「やすらぎの泉」は、ここに入る人たちと、地域の人たちとの交流においても風通しの良い施設に育って欲しいと願いながら、久々に明るいうちに帰途に着いたのだった。
私たちの朝は、まず和気神社参拝から始まった。

1200年以上も前に、孤児院をつくり多くの孤児たちをすくわれた、和気出身の広虫姫にご挨拶し、「やすらぎの泉」のお見守りをお願いした。
かって和気氏の寺が建っていた境内の一部に「やすらぎの泉」が建っていることも偶然ではない気がするのだ。
(ちなみに「やすらぎの泉」の南の窓から畑の向こうに見える石塔が、和気寺跡からでた清麿公の称徳碑なのだそうだ。http://wakeasomi.exblog.jp/1128794/)

オープニングを記念するイベントの前に、開設に関わった方々を、「やすらぎの泉」となりの公民館にお招きしての昼食会を開いた。

開設にご協力いただいたボランティアの皆さんと、こうして完成を祝うのは、この上なく嬉しいことではあったが、もう今までのようにしょっちゅうお会いすることはなくなるのだなあと思うと、一抹の寂しさもあった。


延藤牧師と大家の速水さん、このお二人のご協力がなければ、今回のプロジェクト実行はできかっただろう。
こころより感謝するとともに、これからもずっとよろしくとお願いしたいお二人である。
それぞれにかけがえの無いお働きをしてくださっている皆さんの笑顔に見守られて、「やすらぎの泉」が素晴らしい場所に育っていくことが予感された。


午後からは、完成した「やすらぎの泉」のご披露を兼ねた音楽イベントを開いた。



以前をご存知のご近所さんや教会の方は、口々に「見違えるようだ」を連発される。
とにかくお疲れの母子さんたちを、清潔で心地のよい空間にお迎えしたいという私たちの思いは、受け止めていただけるなという実感が湧いてきた。

延藤さんの挨拶から始まったこの日のイベントの主役は、わがおいでんせぇ岡山の誇るデュオ・ヒコヒコのカズさんとゆうゆさん。

二人の楽しい演奏に、自然に踊りだす人たち。庭で遊んでいた子供たちも手拍子をとり始めるシーンもあった。


ヒコヒコの後には、延藤さん、柳川さんなども飛び入りで登場してくださって、楽しさは最高潮に。


そして締めは、水野さんの自力整体で、心身を整えてお開きとなった。


縁側に立って皆を指導する水野さん、それを外から見て、そとでやっている近所の子供さん、これから「やすらぎの泉」で始まる母子さんたちの暮らしも、ご近所さんとのこのように繋がりながら広がっていくのだろうなと感じさせるひとコマだった。
家の南北のすべてが窓や扉になっていて、とにかく風通しの良い「やすらぎの泉」は、ここに入る人たちと、地域の人たちとの交流においても風通しの良い施設に育って欲しいと願いながら、久々に明るいうちに帰途に着いたのだった。
by mahorobanokimi
| 2011-08-06 10:30
| おいでんせ・やすらぎ関連