シェアハウス開設からの1ヶ月を振り返って(3)
足元を見直す日々(2)

岡の斜面は深い草に覆われ、縄文どんぐり(写真棒が立っている足元)は日陰の子になっていた。
足元見直しの中でも、畑の手入れや広場の草刈は急を要しており、毎朝、比較的涼しい早朝に、草と格闘するのが日課になった。





畑を埋める夏草たちを刈り取っていくと、りっぱな万願寺唐辛子や巨大きゅうりやたくましく生き残った落花生の株や元気なゴーヤやズッキーニが現れてきた。
みんなこの日を待っていたように、きらきらと輝いている。放りっぱなしにしていたのに、大地の神様や雨の神様,お日様たちが、黙って面倒を見てくださっていたのだなあ。感動した。

地元の集落の溝掃除にも参加した。

半農半xの暮らしがしたいといっていたS君、「やすらぎの泉」の作業も終わったので、我があほ~農園で手入れに参加してもらったが、茂った草むらを虫に刺されながら汗まみれで整理していく作業は、イメージの中の麗しい半農とは大分違ったのではないかと思う。

そんなある日、まん丸に近い月の光の下で、枝も枯れたジャガイモを探りながら掘り出してみた。
ほったらかしにしては結構な収穫だった。月の光に、天の川のように照らされるジャガイモたちが麗しかった。

月の半ばには、「あ ほ~庵」の屋根も修理を終わり、そして1ヶ月近く我が家に滞在してシェアハウスの立ち上げに貢献してくれたSさんは、新たな人生を確立するために旅立っていった。
ボランティア活動するだけで生活費が精一杯だった私たちにとって、屋根の修理の費用は大問題だったが、大家さんのご好意で支払えるめどがついた。大家さんにも形を変えて被災者支援にご協力いただいたと思い、大変感謝しています。



この頃、「やすらぎの泉」ではOさんのボランティアで、南の縁側の前に、広いウッドテラスが作られていた。
子供たちがプール遊びをしたり、縁側からはだしで下りてきて、花火をしたりできるようにというご配慮であろう。この方の優しさに、敬服する。
また、子供たちは家の前を流れる用水の生き物たちに興味を持ち始め、動きもさらに活発になって来ていた。
入居者さんのサポートに、延藤牧師さんも大活躍。入居者さんの子供さんが、延藤さんに、まるで父親のように手をつなぎに行っている様子もほほえましかった。

テレビのない「やすらぎの泉」では、小さな本箱プロジェクトで沢山寄せられた絵本は、子供たちにとってかけがえのない贈り物だった。
お母さんたちにとって、どの子も自分の子供のように愛しい存在になりつつあるようだったし、子供たちも皆兄弟のように仲良く時間を過ごしているのが印象的だった。
シェアハウスを通じて実現したい関係性からの学びが、自然に起きてきているようで嬉しい。


しかしながら、広い古民家のおかげで住に走り回れるようになた子供たちの動きはすごかった。
障子やガラス戸の多い古民家は、子供たちを存分に走り回らせるには危険も一杯だと分かってきた。
廊下を通り越して網戸に突進し庭に転げ落ちた子もいた。障子には当然穴が増えていった。
子供たちにのびのびと遊んで欲しくはあったが、安全面の配慮も必要ということになり、1階奥の和室に入居者が入られるのを期に、襖が子供にはあけられない工夫をしたり、部屋から廊下に突進できない工夫を加えていった。
23日には、3家族目の母子さんが到着された。
お迎えしてすぐに、既に暮らしている2家族が遊びに行っている交通公園にお連れして、3家族合流の遊び会が繰り広げられた。

この頃には既に暮らしている子供さんたちの動きが、来た当時よりずっと活発大胆になってきているのを感じた。お母さんたちも、その変化には気づいておられるようであった。

そして延藤さんの子供さんも交え、同じ世代の子供たちは、もう本当の兄弟のように溶け合って遊んでいた。
こんな関わりの中から、人との繋がり方や支えあい等を学んで行ってくれたらいいなあと思った。
(このブログの写真はご本人のお許しを得ずに使わせていただいております。もし出して欲しくない方がいらっしゃいましたら、どうぞ勝部までお知らせください。すぐに外させていただきます。)

岡の斜面は深い草に覆われ、縄文どんぐり(写真棒が立っている足元)は日陰の子になっていた。
足元見直しの中でも、畑の手入れや広場の草刈は急を要しており、毎朝、比較的涼しい早朝に、草と格闘するのが日課になった。





畑を埋める夏草たちを刈り取っていくと、りっぱな万願寺唐辛子や巨大きゅうりやたくましく生き残った落花生の株や元気なゴーヤやズッキーニが現れてきた。
みんなこの日を待っていたように、きらきらと輝いている。放りっぱなしにしていたのに、大地の神様や雨の神様,お日様たちが、黙って面倒を見てくださっていたのだなあ。感動した。

地元の集落の溝掃除にも参加した。

半農半xの暮らしがしたいといっていたS君、「やすらぎの泉」の作業も終わったので、我があほ~農園で手入れに参加してもらったが、茂った草むらを虫に刺されながら汗まみれで整理していく作業は、イメージの中の麗しい半農とは大分違ったのではないかと思う。

そんなある日、まん丸に近い月の光の下で、枝も枯れたジャガイモを探りながら掘り出してみた。
ほったらかしにしては結構な収穫だった。月の光に、天の川のように照らされるジャガイモたちが麗しかった。

月の半ばには、「あ ほ~庵」の屋根も修理を終わり、そして1ヶ月近く我が家に滞在してシェアハウスの立ち上げに貢献してくれたSさんは、新たな人生を確立するために旅立っていった。
ボランティア活動するだけで生活費が精一杯だった私たちにとって、屋根の修理の費用は大問題だったが、大家さんのご好意で支払えるめどがついた。大家さんにも形を変えて被災者支援にご協力いただいたと思い、大変感謝しています。



この頃、「やすらぎの泉」ではOさんのボランティアで、南の縁側の前に、広いウッドテラスが作られていた。
子供たちがプール遊びをしたり、縁側からはだしで下りてきて、花火をしたりできるようにというご配慮であろう。この方の優しさに、敬服する。
また、子供たちは家の前を流れる用水の生き物たちに興味を持ち始め、動きもさらに活発になって来ていた。
入居者さんのサポートに、延藤牧師さんも大活躍。入居者さんの子供さんが、延藤さんに、まるで父親のように手をつなぎに行っている様子もほほえましかった。

テレビのない「やすらぎの泉」では、小さな本箱プロジェクトで沢山寄せられた絵本は、子供たちにとってかけがえのない贈り物だった。
お母さんたちにとって、どの子も自分の子供のように愛しい存在になりつつあるようだったし、子供たちも皆兄弟のように仲良く時間を過ごしているのが印象的だった。
シェアハウスを通じて実現したい関係性からの学びが、自然に起きてきているようで嬉しい。


しかしながら、広い古民家のおかげで住に走り回れるようになた子供たちの動きはすごかった。
障子やガラス戸の多い古民家は、子供たちを存分に走り回らせるには危険も一杯だと分かってきた。
廊下を通り越して網戸に突進し庭に転げ落ちた子もいた。障子には当然穴が増えていった。
子供たちにのびのびと遊んで欲しくはあったが、安全面の配慮も必要ということになり、1階奥の和室に入居者が入られるのを期に、襖が子供にはあけられない工夫をしたり、部屋から廊下に突進できない工夫を加えていった。
23日には、3家族目の母子さんが到着された。
お迎えしてすぐに、既に暮らしている2家族が遊びに行っている交通公園にお連れして、3家族合流の遊び会が繰り広げられた。

この頃には既に暮らしている子供さんたちの動きが、来た当時よりずっと活発大胆になってきているのを感じた。お母さんたちも、その変化には気づいておられるようであった。

そして延藤さんの子供さんも交え、同じ世代の子供たちは、もう本当の兄弟のように溶け合って遊んでいた。
こんな関わりの中から、人との繋がり方や支えあい等を学んで行ってくれたらいいなあと思った。
(このブログの写真はご本人のお許しを得ずに使わせていただいております。もし出して欲しくない方がいらっしゃいましたら、どうぞ勝部までお知らせください。すぐに外させていただきます。)
by mahorobanokimi
| 2011-08-06 17:01
| おいでんせ・やすらぎ関連