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老いの春を、煌いて生きる

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悔いなく生き切ることを目指す79歳の青春日記

シェアハウスをめぐる嵐のような1ヶ月を終えて(1)

プロローグ

設立した3月中旬以来、手探りで東日本大震災被災者の受け入れ支援を続けてきた「おいでんせぇ岡山」が、5月になってやっとの思いでホームページ(HP)を開いたところ、そのHP経由で、関東方面の子育て中のお母さんからのメールがどんどん送られ始め、実働メンバー10人余りで、情報処理の体制もまだ整っていなかった素人集団は、態勢を確立するのに躍起になっていた。
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写真は深夜11時過ぎのスタッフ研修会の様子である。
被災者向けの無料あるいは安い貸家の募集活動から、提供申し出のあった家やアパート、古民家などの実地調査、そして情報の共有態勢づくり、放射能の恐怖や移住へ不安に疲れ果てた被災者さんへの対応の仕方の勉強など、いずれも素人集団にとっては、一から学びながらの活動が続いていた。

一方で、思いを発信するためのHPやメルマガなどの手段を確立するのも急がれた。何をどう知らせるのかも、活動を進めながら手探りでまとめて行かねばならなかった。
HPの問い合わせページから入ってくるメールを、どうやってチェックすればいいのかさえ、なかなか分からないような状態の中、問い合わせは急増し、6月に入るとすぐ問い合わせは70件を越してしまった。

病院や育児関連施設、買い物環境などが整った立地環境を求める、幼い子ずれの母子さんたちには、中山間地の古民家には向かない。

今まで「おいでんせぇ岡山」に提供されていた物件の中で、このような条件を満たすものはあっという間に残りが少なくなり、民間の安い賃貸住宅の情報を紹介することが多くなっていった。
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5月19日夕方のRSKテレビへの私とスタッフのゆうゆさんの出演も、そんな状況の中で、地元の皆さんに協力要請をお願いする機会にはなったが、内心では「被災者さんには、しばらくもうこれ以上問い合わせて来ないで」という思いを抱いての出演だった。

実は、この日の朝、私があ ほ~庵の畑で作業をしていると、通りかかったサイクリングの人が突然カメラを向けて取材を始めたので、「どこのTVですか」と聞いたら、「RSKです」という。私が、実は、私今夜スタジオにお伺いする約束になってるんですよ。」というと「エッ!ひょっとして勝部さん?私そのお約束のアナウンサー国司ですよ。」
思わぬ奇遇にびっくりと言う一幕もあって、2週続けてTV出演する結果になったのだが、テレビの無い我が家では、放映を見ることもなかった。
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深更に及ぶミーティングは、少なくとも毎週一度は開かれていた。
「あ ほ~庵」での深夜から明け方まで話し合ったこともあった。

そんな時期に、そのドラマは始まった。
「一戸建て、築50年、入居時期いつでも、トイレがくみ取りです。古い家なのできれいではありません。静かでJR山陽本線和気駅、山陽自動車道和気インター近くです。買い物も便利です。延藤の住居のすぐ近くです。」


6月1日、押し寄せる被災者問い合わせの中に挟まっていた貸家提供の情報に気づいた私は、早速、発信者の延藤さんに連絡を取り、その貸家を見せていただいた。
伺うと、延藤さんは、ご提案の古民家の向かいにある日本キリスト教団和気教会の牧師さんだとの事。

広い本間の和室が5つに洋間が1つ、そしてDKと言う間取りは、母子1家族には広すぎる。
3家族ぐらいが共同生活しても、充分ゆとりがある広さといえるだろう。
しかも向かいには、延藤さんの和気教会と牧師館があって、親身に相談にも乗ってくださるという。

掃除片づけし内装を少しきれいにさえできたら、被災者さんの仮の住居としては充分ではないか。
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確かに家は古いし、様々な家具や使われなくなった道具などが散在し、ほこりも積もっている。
畳は擦り切れたりむくれたりしているし、壁にはところどころ穴があいたりシールが貼られたりしているし、流し台は錆だらけ。トイレは汲み取りだしクーラーも無い。
長年放置されていた庭の植栽はジャングルのように茂って、家を暗くしている。
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掃除や片付けだけでもなかなか大変だろうなあ。ちょっとため息が出そうだなあ。
最初は、そう思った。
けれど・・・である。

駅から10分で、保育園や子育て支援施設も10分以内、買い物や医療施設も5~15分くらいで何でも揃う。
こんな便利な環境にありながら、周囲に田畑が散在し、前の用水には小魚が泳ぐほど静かで自然が一杯で、今まで、外で遊ぶことを禁じられて来た子供さんたちが存分に遊びまわれる広場や公園もたっぷりある。

延藤さんのご案内でそんなことが分かってくるにつれて、「放射能の恐怖に疲れ果てて非難してこられる母子さんたちに、これほどピッタリの場所はそうは無いのではないか?」
「そして、住み慣れた家や家族や友人たちと離れ、見知らぬ土地に避難してくる母子さんたちの身近に、同じ立場の母子さん仲間がいたら、助け合えるし話も出来るから、孤立する寂しさだけでも避けられるではないか。」

そんな考えが、押し寄せる母子さんたちの問い合わせをどうしたものかと悩んでいた私の心を、あっという間に占拠してしまった。

「掃除や片付けと若干の修理をすれば、避難してくる母子専用の一時宿泊所やシェアハウスで使えるようになると思うよ。」帰宅するとすぐ妻とも分かち合った。
妻は私の言葉を信じ、二人で計画の実現に向けて中心に座る決意を固めた。思いを形にするまでやり続けよう。その結果何が起きたとしても、最終責任は自分たちで取ろうと決意したのだ。

この家は、かって延藤さんの教会が大家さんから借り受け、自分の生き方を見つめ直そうとする人のためのリトリート(隠棲)スペース「やすらぎの泉」として提供されてきたものだったという。

「改めて延藤さんの名前で賃借してもらい、複数の被災者さんにシェアハウスとして使ってもらったらどうか。運営の責任は私たちで取る決意がある。」という私たちの考えに、延藤さんはすっと賛成するだけでなく、
「かって『やすらぎの泉』としてこの家を使う中で積み立ててきた金があるので、この物件の掃除・片付けなど 新たな開設のための準備資金に提供する用意がある。その金を使って、家の掃除を業者に頼みませんか?」
という提案をすぐに返してきてくださったのである。

自分たちだけでも、全責任を持ってシェアハウスを立ち上げようと決意していたところに、資金提供のご提案まで頂いて、すっかり感動した私たちは、この事業を教会とおいでんせぇ岡山の共同事業として運営することを決意し、計画の実現を早めるために、延藤さんが知っていると言う業者さんに、掃除の見積もりを取ってもらうことをお願いした。

そして、改めて夫婦で物件を細かく見せてもらうために6日に改めて現地を訪れることにした。
同時に、
「和気教会」と「おいでんせぇ岡山」の共同運営による被災母子向けのシェアハウス「やすらぎの泉」を夏休みまでに開設しよう・・・・私たちの、思いもかけぬ厳しくも短い船旅が始まろうとしていた。


興味深い体験も色々あって、ブログにも発信したかったが、この2ヶ月ほどは、とても書いているゆとりは無かった。
その後の嵐のような日々が山を越し、ようやく体験を紐解きながら、学びや気づきを整理してみるゆとりが生まれたので、久々にブログに書き始めることにした。
和気の「やすらぎの泉」に関して、もうしばらく連載で書き続けようと思う。

by mahorobanokimi | 2011-07-23 15:59 | おいでんせ・やすらぎ関連