人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

老いの春を、煌いて生きる

mahorobayy.exblog.jp

悔いなく生き切ることを目指す79歳の青春日記

季節の真っ只中に棲むということ

空が白むにつれて、鳥たちの呼び交わす声がにぎやかになる。
日によって、時間によって主人公が変わっていくのが面白い。
季節の真っ只中に棲むということ_a0080610_921582.jpg


午前6時近くになると、セミたちが歌い始める。
それも生易しいボリュームではない。
なにしろ私が住んでいるこの団地は、緑の海に取り巻かれているのだから。

そんなセミたちの大コーラスの渦のなかで実感する自然。
ああ夏だ、夏だ、夏だ~。

40年数年前、大阪万博を視野に入れて造られた、このニュータウンには、
その当時の計画者たちの、未来へのモデルをという夢が盛り込まれている。
いたるところに大きな公園があり、道路にも豊かな街路樹や遊歩道。
そして、各団地も広大な緑の公園が取り巻いていて、隣棟間隔も広い。
季節の真っ只中に棲むということ_a0080610_1745134.jpg
季節の真っ只中に棲むということ_a0080610_17455357.jpg
その上、私の棲家は小高い丘の頂上の5階建ての最上階。
西は六甲山から北摂の山々、そして東は生駒山までが見張らせる。
そして見下ろすと、一面のケヤキや桜やイロハ紅葉やサツキの森。


最近は朝9時になると連日、電話も聞き取りにくいほどのセミのコーラスに、
草刈機のエンジン音が加わるが、セミたちは一向に頓着しないようだ。
何しろ広大な団地の庭だから、サツキや雑草の刈り込みだけでも1週間ほどかかるらしい。
思わずつぶやく一句? 「草刈機のエンジン音溶かすセミの声」
季節の真っ只中に棲むということ_a0080610_17401365.jpg
季節の真っ只中に棲むということ_a0080610_17403143.jpg
季節の真っ只中に棲むということ_a0080610_9262149.jpg

ここのところ、団地の庭にはネジ花や萩や姫シオンその他の可憐な草花や雑草があふれていた。
けれど、この草刈作業のおかげで、彼らは遠慮なく刈り取られてしまっていた。
さびしい気もするけれど、多くの人々にとって心地よい自然を演出するためには、
どこかで線を引かなければならないのだろうな、と思う。

最近は、この5階のバルコニーに造った我が家の小さな菜園にも、ヒヨドリなどが、
ささやかなプチトマトの収穫の分け前を受け取りに来る。
そして蝶トンボのカップルが、上に下にと舞い姿を披露してくれる。


私の人生で、これほど季節を実感したことがあるだろうか?ふとそう思う。
きっと、子供のころの夏休みなんて、こんな毎日だったんだろう。
しかし、いつの間にか忘れてしまうほど、街の暮らしに入り込み、
たまに自然にふれても、それを味わっている余裕もなかったことに気づいた。

この家にクーラーはないが、7つもある大きな窓からは、緑の風が存分に入る。
東に面した部屋は、朝から日差しの暑さに焼けるが、それも心地よい目覚めを助けてくれる。

こんなすばらしい家に住ませてもらえて、何とありがたいこと、と思うたびに、
初めてこの家を訪れたときのことを思い出す。

案内の望月さんがドアを開いて下さった瞬間、さっとからだを包んださわやかな風。
そして3方の窓から満ち溢れる光。窓の外の広大な景色。鮮やかな紅葉の色。
私たち夫婦も、お世話してくださった望月さんも、しばし言葉を失っておられた。
まさしく、ここは求め続けてきた「まほろば」のイメージそのものの家だったのだ。

今、この「まほろば」に夏の真っ盛りを満喫しながら、去年「神との対話」の読者勉強会で、望月さんとであったご縁のおかげで、あっという間にNPO法人ワンネスに関わらしていただき、この家に出会い、そして整体院安寿とも出会わせてもらった不思議に、心から感謝している。
by mahorobanokimi | 2006-07-30 09:29 | 「あ ほ~庵」日記

by mahorobanokimi