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老いの春を、煌いて生きる

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悔いなく生き切ることを目指す75歳の青春日記

カテゴリ:おいでんせ・やすらぎ関連( 20 )

2週間にわたり、昼夜を分かたずボランティアに駆けつけてくださった100名もの方々のおかげで、和気駅近くのシェアハウス「やすらぎの泉」は2011年7月2日にオープンし、ただちに移住第1号の母子さんを受け入れることができた。
あれから満4年の月日が過ぎ、4周年記念の感謝祭を開きますから、参加してくださいとお声かけ頂いた。

真夏の太陽がガラス張りのファサードに照りつける、和気町中央公民館で開かれた感謝祭には、子供連れの移住者さんたちの元気のいい声が行き交い、子供たちが駆け回っていた。

赤いアロハの延藤好英牧師が、相変わらずの柔和な笑顔で迎えてくださる。

懐かしい顔ぶれのお母さんたちや、初めてお会いする母子さんたち、みなさんそれぞれに役割分担してお忙しそうだ。

この日の進行や運営は、すべてお母さんたちが担当。自立を促進したいという延藤さんのご配慮が現れていた。
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この4年の間に、シェアハウスは3号等まで増え、実数で151組の母子さんがシェアハウスに滞在。そのうちの3分の1の母子さんが岡山に移住してこられているとのこと。

未知の土地に来て、同じ立場の仲間の母子さんたちと片寄せあいながら過ごす何日かの間に、岡山を知り、和気町に馴染み、3組に1組の方が、移住して来られたということだから、シェアハウスは間違いなく、その役割を果たしてきたと言えるだろう。

その間、受け入れの細かな打ち合わせから、日々の暮らしや子供さんの医療、教育のことまで、行き届いたサポートをやり続けてくださった延藤ご夫妻のご苦労は、察して余りあるが、お二人が大変そうな顔を見せられたことなど一度もない。いくら牧師さんといっても、すごいことだと思う。
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2011年以来、根気よく移住者の受け入れのお世話や相談相手をし続けてくれている、おいでんせのリーダーゆうゆさんも忙しい中を駆けつけてくれた。
ヒーラーとしての自分の仕事以外に、ミュージシャンとしての活動、県内各移住者受け入れ窓口の横の連携業務、そしておいでんせの業務や広報と、出会うたびに若々しく元気になられている気がする。
お人のために、労を惜しまず喜びで駆け回るゆうゆさんに、天もエネルギーを送ってくれているんだろうなと想像する。
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すでに、和気から他の町に移住した母子さんやご家族も駆けつけ、あちこちで楽しい会話が弾み、子供達も楽しそうに走り回り、出合を楽しんでいる。
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お母さんたちの手作りのおにぎりや餃子の会食が終わると、お母さんたちのゴスペル合唱。
放射能に追われ、ご主人とも離れて暮らさざるを得ないという境遇を、新たな出会いと喜びのチャンスに変える力になったに違いないコーラスの日々を思わせる、喜びのエネルギーに満ちた和やかな演奏だった。
中には、終始涙を浮かべて歌っているお母さんも・・・。
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移住後にヤマハのピアノ検定にも合格した子供さんの電気ピアノ演奏や、何組かのフラダンスの実演と内容豊かなイベントも、和やかに進行。
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そして、シェアハウス体験者の中で、和気を離れ岡山市内へと移住する3組の母子さんの送別の祝福
では、そんなに遠くでもない岡山市内への移住なのに、涙で抱き合う方が多かったのも、母子さんたちの和気での暮らしがいかに親密で温かいものなのかを証しするようだった。

核家族の中で育ち、マンション暮らしで近隣との交流も少なく、まして安全キャンペーンを信じる人々の中から、故郷を去る時には、夜逃げをするような肩身の狭い思いをし、孤立感を味わいながら移住して来られた母子さんたちが、安心して本音で関われる仲間たちと出会えた喜びは、体験していない私たちにはわからないものかも知れない。

仲が良い中にも、時には感情の行き違いや考えがぶつかる時もあるだろうが、それも包み込むような、一種のコミュニティー的な輪が、ここにはすでにあることを実感した感謝祭だった。

わたしたち夫婦が夢見る、新たな時代に向かうコミュニティーは、まだ具体的な形にはなっていないけれど、ここにある大らかなコミュニティー的なつながりは、もうすでに新しい時代の雛形のなりつつあるのかも知れない。
できれば、その流れをさらに育み、和気の町ごと、新しい時代のシンボルになるようなコミュニティータウンにできたら嬉しいなと思った。

シェアハウス作りの中心にいた妻の由実が横にいないのがちょっと残念だったが、光栄にもお母さんたちから、わたしも花束を頂戴した。お母さんたちにご負担をお掛けして申し訳ないという気持ちも湧いてきたが、それよりも気持ち良く、お母さんたちの気持ちを頂こう、と由実と二人で受け取らせてもらった気持ちで、いただいてきた。
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玄関に飾った花瓶の陰で、人形のジジとババが微笑み合っていた。
by mahorobanokimi | 2015-07-26 18:47 | おいでんせ・やすらぎ関連
7月1日「やすらぎの泉」の2周年感謝祭が延藤牧師が主宰される和気教会で開かれました。

しかし私たち夫婦は参加しませんでした。
ほかの用事で忙しかったこともありますが、正直なところ、日ごろ延藤さんのお手伝いもしておらず、また「やすらぎの泉」や自主避難の母子さんたちにも貢献していない私たちが、感謝会にだけ出かけて行く事はどうも気が引ける感じがして、参加しない選択をしてしまったのです。

でも、2日深夜に出先から戻ったとき玄関に届けられていた、母子さんたちからの寄せ書きを拝見したとき、不参加が間違いだったと気づいたのです。
お母さんたちの心のこもった寄せ書きを頂いて、その裏にある思いの深さと、この2年のご苦労が伝わってきて、こみ上げるものがありました。有難いと言う思いと、済まないことをしてしまったという思いが交錯しました。

恥ずかしいことですが、日ごろ何も貢献できていない自分たちが、感謝会だけ出て行くと、どう思われるだろうと言うちっぽけなエゴが働いていたことに気づいたのです。

辛抱強くお世話を続けてくださっている延藤牧師ご夫妻に、お祝いと感謝をお伝えし、住み慣れた家やご主人とはなれて、母子だけで移住してきたり、シェアハウスで仮住まいをしていらっしゃる母子さんたちと分かち合うためだけにでも、参加させていただくべきだったなあ・・・そんな思いも後の祭りでした。

延藤さんのブログから写真を拝借して載せておきます。
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なんと2年間で84組の母子さんが2つの「やすらぎの泉」を利用されたとの事。
「やすらぎの泉」開設から1年で別館を開設するに至った関係者皆様のご配慮、そして2年間ずっと見守り続けてくださった延藤さんご夫妻、入居事務やリース車の管理などをサポートしてくださった先輩母子さんたちの献身的な関わりには本当に頭が下がります。感謝です。

この84組の中から、近隣に移住を決められた母子さんたち(おそらく60組は超えていると推察しますが)が、意識の上でコミュニティー的な連帯感を持ち、この和気と言う田舎町に、新しい息吹を吹き込むエネルギーグループとなっていくに違いないと言う気がしています。

この2日には素敵な「やすらぎの泉」のパンフレットも作成配布されたとの事。
そのパンフレットの中にも、すでに動き始めたお母さんたちの光に満ちた活動が掲載されています。
このパンフも、きっと家族で移住してこられたイノチネ在住のおかぽんご夫妻が延藤さんと協力して創ってくださったものでしょう。
紙面から愛と温もりが溢れて来ます。

さらに、2012年7月には、母子さんたちがゴスペルグループ結(むすび)音(ね)和気やすらぎの泉合唱団を結成し、演奏活動も始めているとのニュースが新聞に掲載されたり、
12月には、放射能汚染のないこちら方面の安全な野菜を宅配で、関東などのお母さんたちに届けようとおかやま野菜倶楽部を立ち上げて、活動を開始されているそうです。

岡山に新たな息吹を吹き込むこの2つの活動は、母子さんたちのコミュニティーのエネルギーが形になって現れた先駆的なものだと思いますが、一方で移住後日がたつにつれ、ウツ的な状態になられている母子さんもおられると言う話には、心が痛みます。

昔から天災が少なく、気候も温和な岡山の地で、安定した暮らしを営み続けてきて、ともすれば人の苦しみには余り関心を示さないと言われるこの地の方々にとって、ご主人と離れ母子だけの移住による二重生活の負担、先の見えない現実などのストレスにも負けず、たくましく前向きに生きるお母さんたちの姿は、大きな刺激と気づきのチャンスを与えてくださっているのではないかと思います。いや、そうあってほしいと願います。

「やすらぎの泉」の延長線上で産声を上げたイノチネプロジェクトは、残念ながら方向転換を余儀なくされましたが、「やすらぎの泉」以外にも、おいでんせぇ岡山の活動は着実に続けられています。
私たち夫婦は、自分たちの考える理想のコミュニティー(弥栄村)の実現に向けて専念するため、現在はおいでんせぇ岡山の活動からも距離を置いていますが、もともと「国創り」をビジョンにスタートしたおいでんせぇ岡山ですから、いずれまた仲間たちの活動が一つにつながっていくのでは無いかという気がしています。
by mahorobanokimi | 2013-07-04 21:00 | おいでんせ・やすらぎ関連
心身ともに健康でいたいと言うのは誰もが思うことかもしれません。
しかし、放射能汚染にさらされた暮らしから脱出し、子供たちを放射能から守りたい一心で避難してこれているお母さんたちにとって、母子共の健康を回復し維持することへの関心は、恐らく体験のない私たちには分からないくらい強いものだと思います。

「やすらぎの泉」やその周辺に移住または一時避難して来られてる母子さんのほとんどが、ご主人とも離れた母子だけの暮らしを余儀なくされておられるので、いっそうその思いは痛切だと思われます。

心身の健康と幸福を自己責任で実現できるようになること・・・を目指す「あ ほ~庵」の健幸カフェが、そんなお母さんたちのお役に立てば嬉しいなあと思っていたら、「やすらぎの泉」のお母さんたちに声を掛けていただいたので、去る9日に出前カフェをやらせていただました。
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病気は嫌なもの辛いもの、病気にだけはなりたくない、そんな観方ばかりではなく、少し観点を変えて病気というものに向き合い、さらには健康の本質とは何なのかを一緒に考えて見ませんかという提案をさせていただくのが健幸カフェです。

元気に動きまわったりおなかをすかせたりする子供たちの面倒を見ながらの勉強会に、お母さんたちもなかなか大変だろうと思うのですが、皆さん真剣そのもので、食べ物を用意したりオムツを替えたりしながらでも、いつも意識が私のほうに届いているのを感じるので、私もいっそう熱が入ります。

2時間半のワークが終わる頃には、お母さんたちに明らかに視点の転換が起こり、病気というものに対する観方が変わって、自前で健幸を増進していく自信が増したように感じました。
少なくとも、病気に対するマイナスの観点ばかりでなく、病気のメリットや病気をチャンスとして捉える観点も理解していただけたと思います。
また、人生のマイナスやそれを減らすことに焦点を当てる生き方と、愛や喜びとそれを膨らませることに焦点を当てる生き方が、人生そのものや健幸にどれぐらい影響するのかについても、かなり理解していただけたのではないかと感じました。

まだこれからも続いていく母子さんだけの避難生活に、少しでもお役に立てたら嬉しいなあ・・・そう思いながら、可愛い子供たちの笑顔に見送られ「やすらぎの泉」を後にしました。

このあと、「やすらぎの泉」のお母さんたちの話を聞いて、「やすらぎの泉」別館のお母さんたちからもリクエストが入り、嬉しいことに15日に別館で、また健幸カフェの出前をさせていただけることになりました。
by mahorobanokimi | 2012-07-15 08:49 | おいでんせ・やすらぎ関連
「やすらぎの泉」へのニーズが絶えることなく、常にキャンセル待ちの方が居られる状況に対応するため、延藤牧師のお骨折りで、「やすらぎの泉」別館が誕生し、「やすらぎの泉」1周年イベントの際には、内部公開もされました。

しかし、「やすらぎの泉」をめぐる渦の広がりが生んだのは別館だけではありません。
実はもう一つの全く新しい動きとして、「やすらぎの泉」から車で15分ほどの備前市の山間部に、「イノチネ」というプロジェクトが既に動き出しているのです。
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ことの始まりは、今年2月13日に「やすらぎの泉」入居者のお母さんたちの移住先を探している中で、備前市吉永町神根本というところの古民家が借りられるとのことで、その物件を見学に行ったときに、たまたま出会った売り物件の素晴らしさに私たちが惚れこんだことでした。
写真の右端の大屋根の古民家がその売り物件です。
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そしてその前を通る一直線の道の先、仲間たちが歩むその先の山の中腹に素晴らしい神社があったのです。
桐の紋と菊の紋を掲げたその社は、人が登には余りにも急な石段の上に祀られていました。こじんまりとした、しかしなんともいえぬ神々しいエネルギーに満ちた社の名は神根神社、木花咲耶姫様が祀られていました。

この神域のエネルギー、そして神社から見下ろす村のたたずまいのえもいわれぬ静けさやすがしさ、何か特別な世界に入り込んでしまったような感覚がありました。
神社におまいりした帰りに、参道沿いの大きな古民家が売りに出されているようだとの情報を貰って、覗いてみたのですが、そのあまりの素晴らしさに圧倒されました。
中でも、おいでんせぇ岡山リーダーの西江さんにとって、大きなインパクトがあったようでした。

間もなくして西江さんから、「この古民家を買い取って、フリースクールを中心にして自然農や山仕事、伝統文化などを学ぶ場にしたい。またここを利用して、被災者さんたちの仕事も作り出したい。」という意思表示がなされ、オーナーさんとの買い取り交渉に入ったのです。
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やがて買い取り交渉は落着し、一部支払いの後残金を今年度末までに支払うという契約が纏まったとのことでした。
そしていよいよ4月6日被災母子さんたち他多くの方々を招いたお披露目会兼苗代作り勉強会が開かれました。
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おいでんせぇ岡山のメンバーで自然農の指導者でもある難波さんの指導で、草を削り、もみをばら撒いて稲の苗を育てる苗代作りが行われていきました。

それ以来、おいでんせぇ岡山の西江さん、ゆうゆさん、ふるふるさんを中心に活動ビジョンの模索を続けるなかで、この施設の名称を命の根=イネにちなみ、「イノチネ」と名づけることが決まりました。

また、被災移住者の中で自然農の柱になるおかぽんご夫婦が、イノチネの離れに引っ越すことが決まりました。
そして、自然農へのチャレンジ第一弾として、いきなり4反もの田んぼを作ることになり、苗代も広げられました。

おかぽんご夫妻と西江さん、その他数名の人たちを軸に、日々入れ替わるボランティアの人たちの力を借りながらの田植えは日数を重ね、完成は7月にずれ込むほどでしたが、とにかく完成し、おかぽんご夫妻も和気からの引越しを完了されました。
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おかぽんご一家の入居祝いと地域の皆様へのご挨拶を兼ねた小宴が、7月1日に開かれました。
つい最近頂いた漆塗りの立派なお膳が、宴に花を添えていました。

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ご近所さんからは6名もの方がご参加いただきましたが、宴が進むにつれ寛いでいただき、いずれ竹かご作りや陶芸を教えていただけそうなお話なども弾んでいました。

「やすらぎの泉」から派生して「やすらぎの泉」別館が出来、さらにまた派生してこのイノチネが生まれることになり、そこではやがて移住者さんたちの仕事も作られていく計画だとのこと、昨年発足から2回目のおいでんせぇ岡山のミーティングで、西江リーダーが突然「おいでんせぇ岡山は被災移住者の受け入れを支援はするけれど、本当の目的は国創りだと考えています。」と言い出された日のことが克明に思い出されました。

あの日の宣言は、1年にして早くも具現化に向けて着々と進み始めているのです。
これから年末までに、2,500万円の金を集める必要がありますが、関わる多くの人々の思いが支えとなって、必要な金はきっと集まると信じます。

イノチネは今、ある種のコミュニティーとして発展してゆく可能性を見始めているといえるでしょう。
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7月7日前夜からの記録破りの大雨で我が家も滝のように流れ込む水に床下浸水した明けの日でしたが、イノチネで最後の田植えが行われました。
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田植えの完了が遅くなり、驚くほど大きくなったイネの苗が印象的でしたが、「とにかく成果を上げる」ということより「皆で楽しく関わりながら作り出していくプロセスの喜び」を大切にするイノチネノ方向性を象徴しているようにも思えたのでした。
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そして、水路に入りびしょ濡れになりながら無心に遊ぶ子供たちの姿が、プロセスの喜びを生きる手本を私たちに見せてくれているような気がしました。



イノチネノこのような活動展開を見守りながら、今私たち夫婦も、自分たちのコミュニティー創り構想の実現に向かって走り始めています。
健幸院やみんなの台所を中心にしたホリスティック・ビレッジのビジョンは、また近いうちに公開したいと思います。
by mahorobanokimi | 2012-07-10 00:26 | おいでんせ・やすらぎ関連
昨年末、延藤さんに「やすらぎの泉」の運営を全てお任せしてから、「やすらぎの泉」の皆さんと直接関わる機会も少なくなり、ブログも長い間お休みしていましたが、7月2日に「やすらぎの泉」開設一周年のイベントに参加させていただいて、感動の数時間を過ごさせてもらったので、ご報告しておきます。
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梅雨のさなかにもかかわらず、雲の晴れ間に青空の覗くこの日の午後、会場の和気教会に到着すると、延藤さんや母子さんたちが会場の入り口を飾り付けているところでした。

懐かしい顔の数々、そして見知らぬ新しい母子さんたち、その間を走り回る子供たち、教会の周りに生き生きしたエネルギーの渦が巻き始めるようでした。
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延藤さんの挨拶が始まる頃には50人近い母子さんたちや教会関係の皆さんで、教会堂のなかはあふれ返るようです。
挨拶に続いて、まず「やすらぎの泉」の開設の経緯から今日までの1年余りの歩みがスライドショーで上映されました。
延藤さんの思いのこもった編集で、古ぼけて暗い古民家が多くのボランティアさんたちの手で再生されて美しくなっていく様子や、入れ替わり立ち代り利用された多くの母子さんたちの生き生きした姿や交流の風景などが再現されます。
画像を見ながら、私の脳裏に、ちょうど一年前の今日開かれたオープニングイベントのことが昨日のことのように鮮明に思い出されます。
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スライドを終わり、「やすらぎの泉」開設に関わったものとして私たち夫婦のシェアーを促されたときには、もうウルウル状態で、何を話してよいものやら冷静に考えられないような状況でした。

思いがけない原発事故による放射能禍から我が子を守ることだけを考え、必死の思いで見ず知らずの地に避難して来られるお母さんたちの不安や孤独を考えると、何としても安く簡単に入れて仲間とも繋がれる環境を用意してあげたい・・・私たちにできるそれへの対応策として、当面思いつく最善の策はシェアハウスだ。
そんな思いに応えるように延藤さんが古民家の情報を提供してくださって、そこからは思い描いた清々しいシェアハウスというビジョンに導かれるままに夢中で走り、そのビジョンに共鳴した100名ものボランティアさんが協力してくださっての1年前のオープンでした。

地域に根ざした延藤さんを軸に、教会や地域の方々のサポートも頂き、入居者のお母さんたちの自立的なあり方の風土も確立される中で、私たち夫婦は運営管理の役割をすべて延藤さんにお願いして、23年の終わりには、シェアハウスとの直接的な関わりからは引退させていただきました。
もちろんおいでんせぇ岡山としての支援的な関わりは従来どおりですから、折に触れておいでんせぇ岡山スタッフが訪れ様々な関わりと支援は行っています。

1年間隙間のないほどずっと利用者が絶えず、来年まで予約で一杯という盛況に、ついに最近「やすらぎの泉」別館がすぐ近くにオープンしました。ご近所さんのご協力と延藤さんのお骨折りで、まだ新しい一軒家がシェアハウスとして開設されたのです。こちらも年内は予約で一杯なのだそうです。

シェアハウスでの暮らしを体験した多くのお母さんたちが、ここで不安から逃げたり対処するだけの生き方から、希望に満ちた新しい暮らしを創造する生き方にシフトしていかれました。
その結果、ここで繋がりあった他の母子さんたちと、手を携え支えあいながら未来を紡ぐ決意をして、この地に移住して来た方が、シェアハウスの近辺だけでも14家族にもなるのです。また、その話を聞いただけで、同じようにこの近くに引っ越してこられた母子さんも何人か居られるようなのです。2つのシェアハウス入居中の’~8家族と、近隣への移住者だけで50人を越える人たちが、和気の新たなエネルギーとして渦を巻いてくださっているのです。

おいでんせぇ岡山のやむにやまれぬ対応から生まれた一粒の種が、今では地域の活性化にも貢献するほどの木に育ち、さらにはすぐ隣接の備前市吉永にはフリースクールを軸にした新たな地域コミュニティー創設を目指す「イノチネ」が、ここから生まれた新たな芽として、育まれつつあるのです。(イノチネについては別稿でお話します。)

ご挨拶で、そんな流れについてお話ししていると、いっそう感情がこみ上げてきて、その後は冷静に話せなくなってしまいました。
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ご挨拶に続いて、関わりの深いピコピコ・デュオの演奏です。
おいでんせぇ岡山の中心的存在であるゆうゆうさんとメンバーの一人オカリナ君のデュオです。
ゆうゆうさんは、ちょうど一年前のこの日にも、ヒコヒコというデュオで、「やすらぎの泉」の座敷で演奏してくれたことを懐かしく思い出しました。

オカリナを演奏してくれたオカリナ君も、昨年岡山に移住してきた好青年で、自然観察や環境保護に素晴らしい見識をもっています。
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上のようなこれまでの経緯から、近隣に住む50人近い母子さんたち、そして数名の教会員や地元の方々とおいでんせぇ岡山のメンバーたちが参加して、このように賑やかなイベントが開かれることになったのです。

延藤さんも参加しての教会の皆さんも、愛に満ちた優しい響きに満ちていました。
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演奏の後は、一品もちよりのパーティーです。
放射能事故の洗礼を受けたお母さんたちの多くは、改めて食の重要性に気づかれ、子供たちの健康を守るために、マクロビなどの勉強を始められた方も多いので、このような持ち寄りパーティーにも、いかにも健康によさそうな料理が並びます。

沢山の子供たちも、目をきらきらさせて好きなものに手を伸ばしています。
温かなつながりと、与え合う豊かさと、分かち合う安心感に満ちた空間でした。
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パーティーの後は、「やすらぎの泉」と新しくできた別館の見学会でした。
別館は本館と違い現代的な一戸建てで、前居住者の方が、可愛いカーテンやカーペットなどのインテリアを残してくださっていて、明るくて居心地よさそうな空間になっていました。
おいでんせぇ岡山の仲間や教会員の方などとおしゃべりしながら、広がる渦の実感を味わっていました。
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ここで知り合った子供たちは、久し振りに出会ってもみんな兄弟のように仲良く、時には思いっきりけんかもしながら、のびのびと遊びます。シェアハウスでの暮らしから、人々や仲間たちとの繋がり方や関わり方を自然にマスターしていくようにも見えます。
子供たちが遊ぶ姿に、幼い日、疎開先の田舎で新しい仲間たちの群れにおずおずと入っていった幼い日の自分の姿がダブりました。
母さんたちにとっては大変な移住も、きっと子供たちにとっては、楽しい自己成長と仲間作りのチャンスなのだと思います。
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和気富士に日が落ちる頃、満たされた心で賑やかな教会を後にしました。

この日の様子は、延藤さんのブログにも書かれています。
http://blog.livedoor.jp/m-37_77162/archives/51950230.html
by mahorobanokimi | 2012-07-03 15:47 | おいでんせ・やすらぎ関連
寒い日が続き、春分を過ぎても梅と椿が咲き続けている和気です。
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そんな和気の3月24日(土)は、私の記憶ファイルに残る1日になりそうです。

この日は、シェアハウスや新しい形の子供教育に関心のある若い女性が、「あ ほ~庵」を訪ねて来られることになっていました。
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阪神間から来られたそのお嬢さんと共に「やすらぎの泉」を訪ねると、ちょうど延藤牧師と教会学校の若者たちが、「やすらぎの泉」のお母さんたちと昼食をとりながら交流会を始められているところでした。

最初は少し引き気味だった学生さんたちも、関東の故郷を出る前のお母さんたちの不安や孤立感、そして知らぬ町への避難を決意してくるまでの苦渋の決断など、お母さんたちの生々しい体験談を聞いているうちに、身を乗り出すように聞き入って行きます。
今まで厳しい自然災害などの体験の無い地元の若者たちにとっては、東日本大震災や放射能汚染は比較的遠いものだったのかも知れません。しかし、生身のお母さんたちのリアルな話が、彼らの心に生き生きと伝わって行ったのではないでしょうか。だんだん人事ではないんだなという表情に変わっていくのが感じられました。

そうこうするうちに、教会の方がにぎやかになってきました。
おいでんせぇ岡山のゆうゆうさん、麻理ちゃんや和也君におにゃン子先生も到着です。
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この日は、「岡山から被災地に手仕事を届ける会」の皆さんが、被災者の母子さんたちに、自分たちが手仕事で創った作品をプレゼントしようと、来てくださったのです。
この様子は、その会のブログに詳しく書かれていますが、手作りのぬくもりの伝わる焼き物やおもちゃや様々な小物に、母子さんたちの顔が一斉にほころびます。
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私はお客様と一緒に、すぐに会場を離れ一旦帰宅したのち、夕方からの食事会に参加しました。
この食事会はやすらぎの泉に滞在した後、ご主人を関東に残して近くに移住して来られていた母子さんが、再度移転されることになった送別会だったのです。といっても、関東に残っていたご主人がこの近くに転勤されることになったので、再びご主人の通勤に便利な場所に移って家族一緒に住むようになると言う嬉しい出発を祝福する会だったのです。
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しだれ梅の美しい庭で子供たちが遊んでいます。
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そしてキッチンには、一品もちよりの食べ物がずらりと並べられて、まるでバイキングのカフェのようです。
ご飯はほとんどが玄米。肉類もほとんどありません。結構マクロビ的な健康食が多いようです。
放射能汚染からわが子を守ろうとする戦いの中で、今まで信じきってきた政府や行政、マスコミ、大企業などの嘘に気づき始め、自分たちの心身の健康を守ることは自己責任でやっていく必要があると自覚され始めているからでしょう。
栄養学や医学の情報も鵜呑みには出来ないし、野菜その他の食材も、よくチェックしていないと関東の野菜が岡山の野菜に混ぜて売られている、と母さんたちは わが子を守るために真剣に向き合い、仲間内での情報交換も積極的なようです。
東日本大震災は確実に目覚まし時計のベルの役割を果たし始めているようです。
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「Nさんいってらっしゃい会」と名づけられたこの食事会の企画や準備もみんな仲間のお母さんたちです。
「やすらぎの泉」に入居中の人も、入居体験後近くに移住してきた人も みんな仲間です。
入居経験が無くても繋がっている移住者さんたちも来られています。みんな意識はやすらぎママのような一体感で動いておられるようです。

どんどん集まってこられる母子さんたち。10家族は越えているようですが、余りに多くの母子さんたちが動きまわっておられるので、正確な人数は分かりません。小さな子供さんも入れたら30人近い人が動き回っている感じです。

小さな子供たちが待ちきれないようなので、みんながそろうのを待たずにすぐに食事会が始まります。
でも、あまりおなかのすいていない子がぐずり始めると、何人かのお母さんがさっと立ち上がって隣の部屋に。
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歌いながら踊り始めたお母さんたちに、ぐずっていた子供たちもたちまち巻き込まれて、楽しさの渦が巻きます。
ビールを飲みながらにこやかに話し合っているお父さんたちも居ます。
30人近い人たちが、思い思いに動いていて、あちらこちらに色んな渦があるのに、それらが互いに孤立することなく、自然に溶け合っている不思議な雰囲気なのです。
お互いにまったく気を使う必要の無い親しい大家族が、自由に楽しんでいる感じです。というより、そこには血縁の家族以上の親密さと温かさがあります。
私の心には不思議な静けさが広がっていきました。

核家族化で日本が失った大きなものを取り戻すのには、様々な人々が関係性から学べる共同的な暮らしの体験が最も効果的だと信じ、だからこそシェアハウスもぜひ実現したいと思ってきた私にとっては、それこそ望んでいたものが姿を現した感動の瞬間だったのですが、意外とその感動は静かなものでした。

放射能の恐怖に震えながら、外で遊ばせることの出来ない子供たちとずっと家の中にこもり、インターネットに向き合い続ける日々に疲れ果てていた日々・・・・
そして今までの人生で予想もしなかった、見しらぬ遠い西の田舎町への母子避難の決断。
ストレスで擦り切れそうになってやって来られたお母さんたちが、遠い旅路の果てにたどり着いた古民家で、同じ立場の仲間たちと心開いて繋がりあえたときの安堵感が如何に大きかったか・・・

お母さんたち同士の親密で安らかさに満ちた交流、子供たち同士が兄弟以上の親しさで共に遊ぶ様子、どの子がぐずっても、そばにいるお母さんが自分の子供のように自然に関わってあげる姿、だれもがしたいことをするのに、周りへの気配りはあっても妙に気を使ったり気兼ねするような様子はどこにも無い。
子供たちの歓声で賑やかなのに、依然として私には、なぜか不思議な静けさのある空間に感じられました。
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今ではやすらぎママさんたちのお父さんのような役割を一手に引き受けて下さっている延藤牧師が弾き語りをされるギターを、幼いKちゃんは一緒にたたき続けます。無心な天使のような姿です。
確かさっきは電子ピアノの演奏のときも一緒に鍵盤をたたいていたKちゃん、きっと音楽的な才能を持った魂なのでしょう。
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やがて、仕事場から駆けつけたカズさんが待ち構えていたゆうゆさんとのヒコヒコとして演奏し始めると、すっかり常連ファンになっている子供たちが歌の掛け合いを見事に返しながら、一斉に踊り始めます。

そうです延藤さんもヒコヒコも私たちも、もうみんなここでは家族なのです。

この日、お母さんたちから、おいでんせぇ岡山西江リーダーが企画中のフリースクールが今どうなっているのか、何度も聞かれました。動き始めるのなら、協力して一緒に理想のものを創って行きたいとお母さんたちも思ってくださっているのです。
もうここには被災者も支援者もありません。ともに繋がって未来に向けて歩み始めた大きな大きな家族があるだけなのです。
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旅立つNさんの挨拶を聞くお母さんたちの表情は、分かれる寂しさより、家族一つになるNさんの喜びを分かち合う笑顔で一杯でした。
そして、「またしょっちゅう帰ってくるよ」というNさんの言葉にも、みんなごく自然に「当然よね」というように大きな拍手が贈られたのでした。

イベントの企画運営も、発信も 自分たちでどんどん進められ、機会があれば後に続く自主避難者さんたちの力にもなりたいし、いずれは皆で協力して自立のための社会起業することも考えたい・・・
この日会話を交わしたお母さんたちのアグレッシブな姿勢に、「やすらぎの泉」が果たしてきた役割の確かさを実感すると共に、目の前の命の渦が、もう新たな「国創り」という次元の入り口に差し掛かっていることを確信したのでした。
by mahorobanokimi | 2012-03-28 19:16 | おいでんせ・やすらぎ関連
3.11のイベント準備で3月5日においでんせぇ岡山のミーティングが開かれた。
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船越さんの講演会や黙祷のイベント準備ということで、いつもの常連以外のメンバーが参加、
その上つい最近移住してこられたばかりの被災者さんもメンバーに加わり、活気に満ちている。

リーダーの西江さんも、いつに無く左脳を使っている?のか、手際よく議事が進行する。

そしてゆうゆうさんからは、黙祷についてもっと思いを注ぐようにしたいという提案。
最初は、他のイベントなしで静かに皆で黙祷するだけの方がピンと来ると思っていたとの発言。

用意されたシンプルで美しいチラシが、ゆうゆうさんやまりちゃんの思いを表している感じだった。

被災母子さんのほとんどがお子様連れとなるので、それへの対応が前回のミーティングでも
ずいぶん議論されたが、その後の準備で部屋中に座布団が敷き詰められることになったり、
会場内に子供さんの遊び場コーナーをもうけるとともに、4時からは託児室に当てる和室との
間を行き来できるようにしたり・・・といろいろ工夫することで何とかなりそうな見通しがついてきた。

この部ループのミーティングは、皆がまったく平らな関係の中で、気軽に正直に意見を出せることだ。

そしてリーダーも、役割として司会などしているが、詰まってくるとさっさと休憩に出て行く。
どうも煙でいぶすと 脳の機能が回復する構造になっているらしい。
このリーダーが時々見せるずっこけぶりが、常に皆を和ませ、このグループの寛いだ風土を
つくる大きな力になっていると思われる。

いつもミーティングの会場(カフェレストSALA)を提供し、飲み物やお菓子をボランティアして
くれているオーナーの木原さんは、いつも会場全体に気を配り飲み物の補給などしながら、
打ち合わせが進んで、議事の整理が必要なときが来ると、さっと前に出てきて、いきなり
ホワイトボードに見事に整理された記録を書き出す。あっという間に今までのこんがらがった
議論も見事に整理され、美しい字で書き出されたボードを、皆があわてて写真に撮る。
こんな芸当が出来る人は、そうはいないだろう。

あんな木原さんも、最近は楯突遺跡の近くの自然農園にエネルギーを注いでいる。
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この日のミーティングでは、西江リーダーがいつに無く整然と進行をリードしてくれたのと
新しく参加してくれた移住者の五十嵐さんが、ボード書き役をやってくれていたので
木原さんの出番は無かった。

それぞれが、心から寛ぎながら、本音でトークし、それぞれが必要なところで得意技を
生かして意見を出したり役割を引き受けたり・・・・このそれぞれが自分の個性を自由に
活かしながら、常に主体的に関わる形が、まさにこのグループの真骨頂といえるだろう。


この日の真骨頂は、一通り議題が終わった後から始まった。

西江さんが、最近候補地も現れ、実現に向けて動き始めたフリースクール実現という彼の
ビジョンについて、皆に分かち合いを始めた。
被災者のお母さんたちにもアイデアを出してもらい、どんなスクールにしたらいいかを考えます。

まるで、宝物を見つけた子供のようにワクワク、生き生きと夢を語る西江さんの顔を見ていると
こちらまでワクワク気分に満たされ、つい笑顔になってしまう。

そんな話の続きで、「今回の東日本大震災のおかげで、みんなが立ち止まり、あり方を見直すことで
地球も私たちも破滅から救われる。まさに震災は私たちのひきつけた物であり、天から与えられたありがたいプレゼントだ。
被災地の人々は、そのために犠牲になるお役目を引き受けてくださったのだと思う。」・・・確かそんな
意味の話をした。
私も、同じような見方をしていたので、胸の中でそうだそうだ、と頷いていた。

とそのとき、前の方にいた被災者の五十嵐さんが、
「西江さん、まってください。その話は頭ではそうなのだろうな・・・と思う面もあるけれど、被災した者の
感情からすると、今は とても受けいれられません。辛いです。」と声を上げられた。

一瞬場が凍った。
大きく目お見開いて立ち尽くす西江さん。
同じように、私もギクっとして凍った。

しばらくして西江さんが口を切る。
「すみません。内側で しまった。嬉しい気持ちを皆に聞いてもらうことに夢中になって、聞いて
くれている人が、受け取れるかどうか、どう響くかには全く意識せずに話してました。
・・・・正直、内側では まだ弁解したくなる自分もいます・・・・。
でも、やはり私の配慮が足りませんでした。五十嵐さん正直な気持ちを聞かせてくださって
ありがとう。あなたの勇気に感謝します。」
自分の内側に問いかけながら、正直に とつとつと話す西江さん。

私の内側でも、西江さんと同じような問答が繰り返されていた。
「そうだなあ、私も調子に乗って話し始めると、相手がそれを受け取れる状態なのか、
今どれだけ受け取れているのか には意識が向かなくなることが良くあるよなあ。
やはり常に、私も、お相手が今どんな気持ちなのか、意識を相手につなぎ続けることを忘れない
ようにしなけりゃいかんなあ。」

凍っていた場の雰囲気が次第にほどけてくる。
周りから、
「五十嵐さんよく勇気を出して言ってくれましたね。すばらしいと思います。」
「おかげで私たちも学べましたよ。」
「真摯に受け止め、正直に自分の気持ちを表現する西江さんもすばらしいと思うよ」
様々な声が飛ぶ。
お互いに正直な気持ちをシェアし合える嬉しさと、安心してそんなことが出来るあったかい
仲間とのつながりに、涙があふれるような場面が続いた。

始めて参加した五十嵐さんが、リーダーの西江さんに正面から、その話は受け取れない・・と
反論するのは、本当にすごい勇気だと思う。
と、同時に、それが言えたのも、おいでんせぇ岡山の温かくて緩やかな雰囲気があったからこそ
では無いかと思う。

人は、安全な愛の空間にいるときに 自分の殻を破るようなチャレンジにジャンプする勇気が
湧いてくるものだということをワークショップなどで何度も体験している。
おいでんせぇ岡山仲間内の愛と信頼に満ちた空間だからこそ、そして西江リーダーの緩やかさが
引き出すなんでもOK的な雰囲気があるからこそ、初めての人でも、率直に自己表現する勇気が
湧くのだという見方も出来るのではないだろうか。

この夜ここで体験した、一瞬の凍るような対決と、それを皆がチャンスとして捉えて、熱い分かち合い
の渦を創り出して行ったプロセスは、まさに今のおいでんせぇ岡山の本質を顕すものだと思えた。
そして、これこそが、国創りの基盤を創るもっとも大切な、そして一般的にはなかなか創りにくいもの
なのではないだろうか。

みんなが常に対等な関係を保ちながら、お互いに慈しみをもって向き合い、本音でつながりあう。
理屈や正しさより、今ここの喜びを大切にし、過去にも未来にも囚われない自由なあり方を探求する。
一人ひとりが皆、自分の自由意志で、やりたいからやっているし、やりたくないことはやらない、と
はっきりしているから型にはまった組織もない。
常に、問題に注目するより、喜びの創造の方に意識を向けることのほうが大切にされ、何が起きても
偶然はないし、すべては学びと成長のチャンスとして自分が引き寄せたものだという観点から見てみる。

これらのことは、私が考える地上天国的な國を創るための必須条件だと 私は思っている。
いや、人々がこんなあり方でつながりあうことが出来れば、そこがすなわち地上天国ではないのか、
とさえ思う。

きっと、ごく自然にこのような在り方でつながりあえるようなグループは、そんなに沢山は無いだろう。
そう思うと、今眼前にいる仲間たち、このおいでんせぇ岡山の仲間のあり方こそ、すでに國創りを
実現している姿ともいえるのではないのだろうか?
by mahorobanokimi | 2012-03-09 13:35 | おいでんせ・やすらぎ関連
いち@311
「祈り、調和、希望」の3つのキーワードを共に、昨年の痛ましい出来事から一年を迎えるこの日、亡くなられた方たちへ哀悼の意とともに花を添え、様々な壁をなくし、大きな負の遺産を抱えてしまったこの日本の中でひとつの[希望]を見いだせる一日を演出したい 

次世代へ私たちはこの日本をどう繋げていきますか??

あの痛ましい東日本大震災から一周年の3月11日、私たちは他のグループの仲間たちと共に、祈念のイベント「いち@311」に参加します。
どうぞ、どなたでもご参加ください。



1.黙祷   3月11日 14:46より2分間

   おいでんせぇ岡山では、この日にみんなで祈る時間を持ちます。
     
   地球が回転する音・シューマン共鳴サウンドを流して
   クリスタルボールの生演奏との共演の中で・・・・・

   その場に集まってくれた方々と心を合わせ
   静かな祈りの時間を持ちたいと思います。

   場所は、下石井公園・特設献花台前 おいでんせぇ岡山ブース周辺です。
   
   主催 おいでんせぇ岡山


2.船越康弘さんお話し会 3月11日 15:30~17:30
   
  ◆未来を創る暮らし方 ~食べ物で防ぐ内部被曝~』


   黙祷の後には、重ね煮で有名な、
  百姓屋敷わらの船越康弘さんのお話会
   を主催します。
   
   食を通じて自己治癒力を高め、健康を維持発展させる知恵やヒントを
   たっぷりお話いただけると思います。

   特に今回は、放射能被爆への対策としても有効な玄米と発酵食品のとり方や効果
   についても詳しいお話を聞いたり質問したりできる貴重な機会になると思いますので 
   被災者の皆さんに、ぜひお勧めしたいと思います。
   (お子様連れでの参加もOKです。ただしできるだけ事前にご予約ください。)

   食を通じた被爆への対応効果は、長崎原爆投下の後、長く現場で治療に当たられた
   秋月辰一郎医師の手記に明らかにされています。
   
    ●日時:2012年3月11日 開場15:00/講演15:30~17:30

    ●場所: 出石コミュニティハウス(岡山市北区幸町10-10)
                      (3.11の記念式典を行う下石井公園横)

    ●料金: 疎開者さん:500円/一般 1,000円 / 中学生以下無料

    ●主催:おいでんせぇ岡山

    ●共催:和楽プロジェクト

    ●問い合わせ/お申し込みは、
     携帯:   090-6067-1861 (ゆうゆ)
        E-mail: hiko.nishie@gmail.com (にしえ)
                    ※当日は、お申し込みなしでも入場可能です。

    ●船越康弘さんのプロフィール
       
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      1956年岡山県生まれ。 20歳の時、食養を世界に広めた故 桜沢如一氏の思想に出会い、
      食べ物を変えると人生も変わることを実感する。
      その後、故 小川法慶氏に師事し、1986年吉備高原の山奥で自然食の宿「 百姓屋敷わら 」
      をスタート。
      自然食は単なる健康志向ではなく、「おいしく・楽しく・ありがたく」をモットーに幸せと感謝の
      生き方に進化発展させる。
      やがて心も体も癒される宿として人気を集め、全国各地から年間3000人が訪れる民宿と
      なる。
      現在は「百姓屋敷わら」を営業しながら、食と幸せに関する講演、重ね煮を中心とした
      料理教室などを行う。 シュタイナ−哲学にも詳しく、実践家でもある。
      ■主な著書「わらのごはん」「わらの料理」など他多数。


★下石井公園のメイン会場出展ブース10時~では、
    
    和楽プロジェクトさん&おいでんせぇ共催ブースを開設します。
    玄米茶、玄米コーヒー、和楽うどん、船越さん著書、
    すばらしい太陽のオーラ写真の展示即売etcを予定してます♪
    どうぞお立ち寄りくださ~~~~いね。

by mahorobanokimi | 2012-03-09 12:59 | おいでんせ・やすらぎ関連
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9月30日夕方、「やすらぎの泉」向かいの和気教会で、ユニット妖さんによるミニコンサートが開かれた。

故郷の人々を少しでも勇気付けたいとボランティアコンサートを続けている東北出身のオカリナ奏者渡辺史子さんと 和楽器奏者の原野 学さんのご好意で、「やすらぎの泉」の母子さんたちや「やすらぎの泉」を支える方々に癒しと楽しみを提供したいと、忙しい中演奏に駆けつけてくださったものだった。
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この日は高梁市でのお仕事から直行で駆けつけてくださったお二人。
舞台のセッティングもそこそこに、最初の演奏は、鳥の声をふんだんに盛り込んだ楽しいオカリナの演奏から始まった。

続いて、子供さんたちに親しみのあるアンパンマンや隣のトトロ、魔女の宅急便などの楽しい演奏に、関東から移住して来ている子供さんたちも延藤さんの子供さんなどと一緒になって大はしゃぎ。
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コスモスやふるさと、荒城の月など懐かしい演奏には、被災者のお母さんたちも大喜び、近所の高齢者の方々も、耳を傾けて聞き入っておられた。

移住や一時避難を余儀なくされ、不自由な2住生活をしておられる母子さんたちや、支援者の方たちを楽しませ、癒したいというユニット妖のお二人の願いは、充分達せられていたようだった。

この日参加者から寄せられた東日本大震災支援金は、東北の被災地に贈られた。
さりげなく基金箱に入れられる「やすらぎの泉」の母子さんの姿も印象的だった。
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今回のイベントの結び約をしてくださったFさん、そして急遽スケジュールをやりくりして駆けつけてくださったユニット妖さんのお二人に心から感謝します。
また、会場を提供し、告知や準備に走りまわって下さった延藤牧師ご夫妻ご苦労様でした。
by mahorobanokimi | 2011-10-04 21:38 | おいでんせ・やすらぎ関連
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畑の隅のコスモスが満開の、心地良い昼下がり、私たち夫婦は「やすらぎの泉」に入居中のお母さんたちとお話ししに出かけた。

お母さんたちが、どんな思いで暮らしておられるのか、また私たちの対応で改善する必要が何かないかなどを知りたかったのと、管理人のいない「やすらぎの泉」での共同生活をより快適に過ごしていただくために、お互いに何ができるかを一緒に考えてもらいたいと思って計画した話し合いだった。

まず、入居する際ここに来てどんな感じがしたか、また住んでみてどのような体験だったかを伺った。
入居されてすぐの方から、かなり長くなる方まで、「やすらぎの泉」での体験は様々だけれど、お話しの方向性は共通するものが多かった。
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Aさんの話。
・・・・・ここに来る前に母子だけで都心のマンションに疎開したとき、狭い部屋の中に親子二人だけで住んでいて孤独でたまらなかった。
その後、ある農家にホームステイさせてもらっていたが、お世話になっていると言う心苦しさがつきまとっていた。
だから、ここに来ることは、お世話になるという感じから開放されて気が楽だったし、皆との関わりが楽しくて、おかげで孤独を忘れることができた。・・・・

・・・・・それから、最近他の同居者さんに意見を言って、喧嘩してしまった。
今までの人生ではずっと、何か意見が食い違ったり、文句が言いたいときでも、ぶつかることを恐れて距離を取ったり、感情を飲み込んで我慢してきた。でもここでそれを続けていては上手く行かないと思い、生まれて初めて、思い切って正直に伝えた。
最初の伝え方には感情が入りすぎたと言う反省点もあったが、途中であきらめずに、粘り強くコミュニケーションをとろうと努力した。
間に入ってくれる仲間もいて、本気で話し合った結果、結果的にお互いにすっきりして、かえって仲良くなれて嬉しかった。・・・・・・

Bさんの話
・・・・・一人っ子で育ったので、人とのやり取りや引きどころが分からない。大雑把で気がつかないことも多いが、ここでは他の人に言ってもらえるので、気づけることが多い。
東日本大震災については、地震の怖さに意識が囚われていて、余震が来るたびに怯えたが、政府やマスコミの情報を信じていたので放射能の情報に全く意識が向いていなかった。6月になってネットで放射能の情報を知り、あわてて行動を起こした。
ここに来て子供たちが、他の子と遊べると言うのが、嬉しい。
ただ、一軒家の中の共同生活なので、音で困ることがある。子供の昼寝が妨げられることもあるし、毎朝早くに鳴る隣室の目覚まし時計にも困ったが、これは話し合って解決した。

Cさんの話
・・・・・震災後すぐに神戸に避難し、その後九州に行ったり一時的に岡山に下調べに来たこともあったが、自分は怖いから、却って見ずにいられずテレビを着けっ放しにしていた。子供はこわいと言って毎日嘔吐していた。
しかしここに来ると嘔吐はしなかった。
自分自身は、曽祖父までいる大家族で育ったので、私はコミュニティーの一員として暮らしたいと思っている。
こちらに出てくるのを迷っていたとき、周りが、行ってみて合わないと思ったら1日で帰ってくればいいじゃないか、といってくれたので、かえって踏み出す勇気が湧き、仕事もやめ戻る場所を断ち切ってこちらに来た。
長年理想の家を建てるのが夢で、一昨年やっと夢を実現したばかり。本当にこだわった家だった。

けれど、今は「子供が笑って暮らせるのに、わずかな物で良かったんだ。」と思えるようになった。

主人も、岡山が気に入っているし暮らしの見通しが立つならいつでもこちらに来るといっている。
自分にはまだ都会的なものへの未練が少しは残っているが、子供にとっては土と繋がって生きることが大切だと思うので、いずれ家族でこちらに住んで畑もやって行きたい。・・・・・

Dさんの話
・・・・・子供は父親が好きなので、できれば一緒に暮らさせたい。しかし、主人は関東を離れたくないと言う。
自分は、子供の健康のことを考えると、関東にそのまま住ませることはできないので、何としても移住したい。
理想は家族でこちらに住むことだが、今の所それができないので悩んでいる。・・・・・

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皆さん共通の話題
・・・・・ここに来ると言う選択をするとき、やはり共同生活のわずらわしさや人と上手くやっていけなかったらという不安があったが、いざ来て見たら、そんなことより一緒に暮らす楽しさや便利さの方がはるかに勝っていた。
子守や炊事で助け合えるし、子供たち同士で集まって勝手に遊んでくれるので、一々面倒を見なくてすむことも増えるので、子育もかえって楽になった。・・・・

・・・・・古民家でクーラーもない。汲み取り便所。いったいどんな暮らしなんだろうという不安があったが、来て見たらクーラーがなくても結構快適だし、トイレも清潔にしてもらっていたし、そんなことより、皆でわいわいやるのが楽しくて、すぐにここの暮らしに慣れてしまった。・・・・・

・・・・・買い物に出かけた途上で、同居している仲間と出会った時など、やあと声掛け合うときのほっとする感じがなんともいえず嬉しい。・・・・・

・・・・・関東にいるときは、周りがみんな放射能なんて大したことはないという話を信じているから、自分はここにいては危ないし子供を何とか救いたいと思っても、それを話すと却って「あなたおかしいのじゃない?」と言われるし、学校の先生も話にならない。この家では、同じような体験をして来た仲間ばかりだし、不安を不安として話してもちゃんと受け取ってくれる人々に出会え、とても気が楽になった。・・・・・

・・・・・ここでの生活を体験してみて、人とつながりお互いに信頼関係ができれば、きっとこれからの人生は大丈夫という気持になってきている。・・・・・

お母さん方一人ひとりの生い立ちも違い、考え方も違っているが、話しを聞かせてもらって、共同生活のメリットが、ディメリットを軽く上回るほど、皆さんがそれぞれに多くの価値を得て下さっているのだなということが良く分かった。シェアハウスにして良かったなあと思うひと時だった。
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★✩★ここからは、お母さんたちの話を聞いて私が感じたり考えたりしたことを書きます。

お母さんたちとの後の話し合いで、もうすぐ先輩入居者がいなくなり、これから新しく入ってくる入居者さんに、ここでの暮らし方をコーチする立場になるお母さんが、しきりに不安を口にされるので聞いてみたら、二人姉妹の次女で育ち、リーダーシップを取る体験のないまま、今に至っていて、上手くできるか不安でしょうがないと言われる。
自己評価が厳しいのかなあと思うが、どう見てもしっかりしておられるし充分やれそうな方なのだが、こんなところにも、核家族化と少子化の影響が出ているのかなと思った。


「自分の気持を正直に伝える」ということは、人との親密な関係を創る上で、最も基本的なことの一つだと思うが、今までの社会のあり方、特に核家族化の進んだ都市社会では、それをしなくてもそれほど不自由を感じずに済んでしまうということがあるのだろう。
お互いに、一定の距離を取り続けることで、できるだけ衝突が起きることを避けて、それぞれが我がまま自由に暮らせるという現代的な生き方も、一つの選択だ。しかしその結果が、他人のことなど知ったことではない。自分さえ良ければいい。というあり方が当たり前の、索漠とした社会を作って来たといえるのではなかろうか。
しかしそこには、金さえ出せば、欲しいものもサービスも手に入る、ということが前提にあったのではないか。
だからこそ、逆に稼ぐためなら、嫌なことや良心がとがめるようなことでも我慢してひたすら働くことが、家族の幸せに繋がると信じて過労死するまで働くような人が珍しくない社会になってしまったのではなかったのだろうか。

母子さんが覚悟を決めて避難してきても、ご主人方が今の仕事を手放せなくて、二重生活が避けられなかったり、震災離婚というところまで行くケースがあるのも、このような思い込みが影響しているのかもしれないと思う。

それと同時に、核家族化が進んだことと、このような生き方が当たり前になった結果、人との喧嘩の仕方も分からず、ただ衝突を恐れて相手の顔色に振り回されながら生きたり、本音で人と繋がることができず、行き詰って自殺を選んだり、そこまで行かなくても多くの人が、年をとったらテレビだけが友達というような孤独な暮らしになってしまっているのではないだろうか。
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人と人とが親密な関係(時にはもういい加減にしたいと思うくらいのときもあったかもしれないが)で暮らすのが普通だった大家族の時代(私もその時代の生き残りであるが)には、人々は様々な世代の人たちと関わりあい、その中で様々な役割を演じながら、自分とは誰で、自分にはどのような存在価値があるのか、どうやったら人とコミュニケーションを取ったり、お互いにいい関係が結べるのかを学びながら成長していくのが当たり前だった。

子供同士で群れて遊ぶ中で、たたかれる傷みも喧嘩の仕方も、そして喧嘩した後一層仲良くなる体験もした。
絶対勝ち目のない相手にでも殴りかかる自分の勇気に驚いたこともある。
喧嘩もせずに仲良くなんかなれない・・・・それが誰にも分かっていた。
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小さな子を歳上の子が遊んでやったり危険から守ってやるのは、上の子にとって当然の役割だったし、歳下の子は、上のこの言葉に従うことも学んでいった。
親に厳しく叱られても、蔭でおばあちゃんが無条件の愛で抱きしめてくれた。おばあちゃんもそれが喜びだった。
お母さんが忙しいときお手伝いは子供の誇りだったし、褒めてもらうのが嬉しかった。

お爺やお婆の知恵を学ぶ機会も多かったし、大人たちが働くかっこいい背中も見てあこがれた。
大人たちは、よその子でも自分の子供と同じように 愛をもって叱ったり注意を与えたりしてやった。
それに対して、いらん事するなと抗弁する親もいなかった。

多くの家族の中で、それぞれが自分の役割を見つけたり、いくつもの人間関係を体験した。たとえ成績が悪くても、駆けっこはビリでも、自分の存在価値を実感する機会がいくつもあった。

そして、限られた空間や物や食べ物でも、お互いにやりくりして調和を見つけ出すことを学んでいった。
人は関係性から学びながら、自己価値を自覚し、また人と繋がったりお互いを活かしあうことができるように成長していくことができた。

核家族化の進展と、受験競争から就職や企業内での出世競争まで競争原理が全てというような社会のあり方は、人々からそのような機会を奪い、自分との関係作りも、人との関係作りも充分に学べないまま大人になり、親になり、また核家族を作って子育てをしていく。
そのことがどれくらいこの国に大きな影響を及ぼしてきたかを、この日のお母さんたちの話が教えてくれた気がする。

このことは、シェアハウスでの暮らしのように、体験しなければなかなか理解されない。
でも体験すれば、すぐにでも分かることでもある。


人と人とが愛と相互信頼で繋がり合い、喜びの渡し合いで成り立つような、真に人間的な社会を創造するためには、人と人とが寄り添って暮らすシェアハウスやコレクティブハウスのような暮らし方が、今こそ再認識される必要があることを、この日の話し合いで改めて痛感した。
by mahorobanokimi | 2011-10-03 20:22 | おいでんせ・やすらぎ関連