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老いの春を、煌いて生きる

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悔いなく生き切ることを目指す75歳の青春日記

カテゴリ:プロフィール( 8 )

セミナートレーナーとしての新しい人生は

ちょうど、わたしの42歳の誕生日から始まりました。

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40
過ぎての、全く新しい仕事へのチャレンジは、
悪戦苦闘と自己嫌悪の連続でした。
学びの苦闘は数年にわたり、
自分自身が、精神的な行き詰まりをなんとかしたいと
論理療法のカウンセラーに
相談に行きさえしました。

パーソナル心理学
アドラー心理学
ゲシュタルト心理学やフォーカシング、
サイコドラマやプレイバックシアター、

様々な心理学を学び、

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アメリカのエサレン研究所にも何度か通い、



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インドのアシュラムで瞑想修業し、

人々の成長を支える心身統合の研究を
積み重ねる日々は最高に輝いていました。

セミナーを通じて、

目の前で自分の殻を破り、
イキイキとした感情や感動を取り戻し

姿勢や表情や肌のつやまで、

みるみる変化して、笑顔いっぱいになる
受講生さんたちの姿を見ることは、

何よりも嬉しいことであり、
積み重ねた苦労を忘れさせてくれる

ものでした。

自己実現する喜びを体感する日々でした。


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そんな充実した10年を体験した後、

突然のバブルの崩壊に伴い襲ってきた大嵐。




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わたしは、
仕事も、家庭も、住み家も、

全てを手放すという
人生最大のピンチを迎えました。

それから5年にわたる、それこそ文字通り

どん底の体験を通じて、

わたしは、プライドと言う一番厄介な荷物を
徹底的に手放すことが出来ました。


手放してみて、それが、

魂と心の健康の邪魔に大きく影響していた
ことを実感しました

ゼロから再起した体験については、
またブログの中でお話して行きましょう。


by mahorobanokimi | 2017-05-31 21:45 | プロフィール

サラリーマンとして働くことに迷いはじめ、
働く意味や目的まで失いかけたわたしにとって、
衝撃の出来事が!



それは、ある勉強会で問われた言葉でした。

「最近あなたは、どんなことに
        感動しましたか?」


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愕然としました!

思い出そうとしても、
感動体験が思い出せない。

1週間、1ヶ月、半年、1年・・・
遡っても、感動した体験が浮かんでこない。

恐ろしい経験でした。


良く考えてみたら、
「自分は生きている」と実感する瞬間は
酒を飲んでいる時か、

麻雀をしている時くらいしかない。

それも、実感していると言えるのか疑問な程度。

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ダメだ。このままでは生きた屍になって行く。

この一見安定した地位や収入の
安全地帯に閉じこもっていては、わたしは
ゾンビになってしまう。


内なる声が叫びます。

「生きながら死ぬなんて、いやだ~~~!」


せめて、環境破壊する側から止める側になりたい。


しかし反対運動では、

世の流れは変えられないことは明らかだ。


可能性があるとすれば、
人々の意識が変わることからだ。


そう思うようになりました。


悩みに悩んだ末、会社を辞めて、
意識啓発や能力開発の
トレーナーになろうと決意したのです。



しかし、妻は猛反対です。


せっかく安定した地位や収入を確保し、
新築した家のローンなどの保証が
人生から消えてしまう、

と不安だったのでしょう。


妻とも散々話し合いましたが

どうしても、同意してくれません。


「妻が同意してくれなくても、もうやるしかない」


そう決意したとたん、

それを伝える前に、

妻は「好きにしていいよ。」と言ったのです。

反対を続けさせていたのは、
実はわたしだったのだ!

と気づきました。

結局41歳の終わりに、


19年半勤めた会社を退職しました。


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その時に気づいたことは、


チャレンジしようかどうか悩んでいる時も
枠を飛び出す決意をした時も、


「自分は今、本当の自分を生きている」


という実感があると言うことでした。


妻と3人の娘とを抱え、

家の大きなローンを抱えての決断には
正直なところ、わたしにも不安もありました。

しかし、安全地帯で

生きたまま腐って行く自分は見たくない。


「生きる目的とは、

チャレンジし、成長進化して行く事だ。」

例え、経済的にピンチが来たとしても


魂が腐るよりは幸せだ。
そう決意し、枠を超えた時は
実に爽快な思いを体験しました。

やっとのことで、魂と心と体の健康を
取り戻した気分になりました。



by mahorobanokimi | 2017-04-26 03:18 | プロフィール


サラリーマン生活10年にして、
初めて、企業社会の厳しい一面に直面し、
雇われている立場とはどんなものかが
少し分かった気がした私でした。


これからどう生きればいいのだろう?

そんな思いでいるわたしに届いたのは、
びっくりするような情報でした。

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わたしが激怒させてしまった

あの子会社の社長が
親会社に強く推薦して、

33歳のわたしを
本店の課長で
復職させて下さったのです。

事情はどうあれ、事業は失敗し、
親会社に損させた一員なのに、

結果としては、
同期の中でも2番目位の
栄転ともいえる人事、


1年間干されはしたけれど、
熱意は通じていたのだなと嬉しかったです。


この子会社の社長に対する
わたしの表現方法には
工夫の余地があったとは思いますが、


自分の
魂の声に従って、

本音でものを言い続けることは、
結果として私の人生にプラスする

と学びました。


親会社に復帰した私は、
折からの列島改造ブームに乗って

高度成長期に向かう
大手ゼネコンの若いエリート管理職。


3人の娘にも恵まれ、家も郊外に新築し、

物質的、社会的には豊かな日々。

折からの列島改造ブームに
建設業界は成長の一途でした。

週に何度かは、
高級な倶楽部でお客様の接待、
気を使いながらの接待ゴルフ、

お得意様に出かけるのも

運転手付きの社用車を使うルール。
それはまるで、
テレビドラマになりそうな日々でした。


しかし、数年して企画部門に移り、
専門分野の仕事は
部下任せという立場になり、
40歳が目の前に近づいたころ、
わたしの心は揺れ出していました。

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自分ががんばり、

会社が発展することが、
環境破壊に力を貸している。


このままでは地球をダメにしてしまう。
自分もその加害者の一人なんだ。

そんな思いがだんだん強くなって来て、
仕事を進めること自体にも
迷いが出始めてきてしまったのです。


押さえてもおさえても、

「こんな仕事を続けるのは嫌だ!」
と魂が叫び続けます。


さらに辛かったのは、
実務を部下に任せるにつれて、

だんだん現場と遠ざかり、
自分自身で直接手を下す仕事が、

ほとんどない状態に

なって行ったことです。

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歩く名刺としての役割だけの自分です。
何のために生きているかがぼやけて来て、
働く意味や目的さえ見失っていきました。



(続く)

by mahorobanokimi | 2017-04-26 00:51 | プロフィール

わたしの最初のつまずきは、

高校時代でした。



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高校に入った時は、

トップクラスだったわたしも、

遊びまわっていて、気が付いたら

同学年650人中630位あたりをうろうろ、

落ちこぼれて自信喪失、自己嫌悪。


しかし心機一転し、

浪人中は、毎日3時間睡眠。

1年で3年分勉強して

地元の国立大学に入って、自信回復。


そして、卒業後は、

日本で5本の指に入る

ゼネコンに入って、

やれやれ、何とか両親の期待に応えられた
とほっとしました。



新人時代は、総務部で

鬼課長から文書作成の特訓。

書いても 書いても、

赤鉛筆の直しが入る毎日に、

またしても、自己嫌悪。


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20代後半で、自ら志願して

新しく設立する子会社へ出向。


子会社で直接採用した

若い部下たちのチームを率いて

夢中で頑張る体験の中で、

気が付けば、いつの間にか

人の輪に入ることが 徐々に出来る様に

なっていきました。


必要に迫られて、

飛び込んで行ったからこそ、

殻が取れ始めたのだと思います。


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しかし・・・・


会社のためにと張り切りすぎて、

社長にも、自分が正しいと思うことを、

遠慮せずに提言していたら、


「君は、わたしの指導力が

   足りないと言うのか!」


と 普段は穏やかな社長が、

突然プッツンして、大声で叫ばれたのです。


なんと、それから1年近くも

あれほど信頼され、

可愛がられていた社長から

まったく口をきいてもらえないという

思いがけぬ体験をすることに

なってしまいました。


この体験から、わたしは・・・

どんな正しいことでも、

相手が受け取れる形で伝えないと

伝える意味が無いこと を学びました。

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その後結局、その子会社は市場に適合できず

事業から撤退。

子会社で直接採用した人たち大半の

首を切らざるを得なくなりました。

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親しい仲間や部下たちを切るという、

なんとも辛い体験でした。


営利企業と言うものの冷酷さと、

雇われている者の立場の弱さを、

痛感した体験でした。



by mahorobanokimi | 2017-04-22 08:00 | プロフィール
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わたしは昭和16年生まれで現在76歳。

長い間、歯医者さん以外の医療機関に
お世話になることもなく

健幸自立的人生を楽しんで来ています。

これは、
もともと親から丈夫に産んでもらったこと、

戦争前後の食糧不足で、粗食で育ったこと、

そして 長年探求して来た健幸研究のお蔭だと
自負しています。


そして、歳の差夫婦の気楽な暮らしは、
周りからは、自由でいいねえ。

理想の夫婦だねえ。
などとよく言われます。

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ここまでの、なんとなく自慢めいたお話に
お付き合い頂き有難うございました。

別に自慢したかった訳じゃなくて、
わたしがお伝えしたかったポイントは・・・

今わたしが提唱している
健幸
魂と心と体の3つ】
が健康で、バランスがとれている状態

を、ごく普通のこととして
わたしたち夫婦が実際に、この17年間
実践して来られたと言うことなのです。


そうは言いながら・・・

かく言うわたしも、昔から3つの健康が
バランスよく整っていた訳ではありません。

生まれ落ちた瞬間から、
西式という健康法で育てられ、

たまに病気になっても
全部自分で治すのが 我が家の当たり前で、

小さいときから、
自分の健幸は自己管理が当たり前
で生きて来ました。


ところが、魂と心
なかなか体のようには行きません。

自分で言うのもなんですが

実は若いころ、カタブツで(笑)
人とオープンに話すのが大変苦手でした。


戦争で田舎に疎開していた時も
地元の子供たちとは馴染めず、


戦後、焼け跡だらけの神戸で
焼け残った小学校に
転校してきたときも

仲間たちの群れからは
いつも浮いた存在でした。


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一人ぼっちで、何時間も

焼け跡の草原で
小さな草花と 話している時間が
一番幸せでした。

一面のオオイヌノフグリの花を、
まるで昼の星空のような思いで眺めていたことを
思い出します。


そんな孤立癖のあるわたしが、

今ではセミナー講師として
沢山の人の前に立って
皆に話しかけたり、

参加者の質問や相談にこたえたり、
対話を交わすことを

心から楽しめるように
なっているのです。

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若いころは、異性に話しかけるのも
緊張して、構えた話 しかできなかったのに、

今は、男女にかかわらず、
どんな年齢の人とでも
気軽に、心開いて話せるようになりました。

誰とでも、全然構えずに 
話せるようになるには

色んな恥ずかしい失敗や、
惨めな体験の歴史がありました。

まあ、76年間も生きてくれば
波乱が無い方が
おかしいかも知れませんがね。

そんな人生のドラマについては、
また、おいおいにお話することとして、

まあ、心配性で、頑固で、
そのくせプライドが高くて、

仲間たちから一目置かれはするけれど、

多くの場合、
内心では煙たがられていたわたしが、

なぜ、
今のような生き方に変容して来られたか、
については、次回にお話ししましょう。



by mahorobanokimi | 2017-04-20 17:09 | プロフィール
吉備中央でのアースデイ”はれのくに”に、
お話させて頂けることになりました。
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スローライフ仲間のリーダーから頂いた、
思いがけないチャンスに
爺の胸は高鳴った!

と同時に、不安にもなった。
恐らく1000人位の人たちを前に
マイクを握ることになるのだろう。

様々な年齢や立場の方々のこれからの暮らしに、
少しでもお役に立つように、
短い時間でお伝えすることは、
とてつもなく難しい気がする。

今までの小規模なセミナーや講演のような調子では
きっと上手く行かないだろう。

と言って、構えて見ても緊張するだけ。


そうだ、この際 大恥かく覚悟で、
素のままの自分でぶつかって見よう。

そう思いだしたら、自分のプロフィールが書きたくなった。


歳のせいもあり、とかく人々からは
凄い勉強をしている賢い人で
何の問題も抱えていない位完璧で、
人生を悟っている偉い人、
と言うように見られがちなわたし。


だから、暫く傍で関わられると、
慌て者で、思い込みが激しくて、
繊細なようで大雑把な性格がむき出しになり、

「なんや、勝Zて、わたしらと変われへんねんなあ。」
とびっくりか、ガッカリか されることが多い。

あとからガッカリされるより、
思い切って、先に種明かししておくのも良かろう。
きっと、これから生まれる新しい流れに乗るには、
裸の勝Zで、笑って頂く方が向いているだろう。

ということで、
これから数回に分けて、
わが76年の恥多き人生の 総括をして見たいと思う。
では Let's Go!


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私の名前は 勝部嘉樹、人呼んで「勝Z(かつじぃ)」
勝部爺さんと言う意味で呼んでもらっても、
XYZと 最後には勝利する男と言う意味で
呼んでくださっても・・・
(また、かっこつけてる!)

とにかく、年寄りの割には、気楽で元気な奴、
そう思って頂いたら幸せです。


わたしは今、23歳年下の妻と、
四方を自然に囲まれた
眺めの良い丘の上に住み、

窓一杯に広がる
自然の風景を眺めながら、
妻との会話を楽しみ、
ゆったりとブランチを味わう。


それが日課になっています。

気が向けば、
家の周囲に広がる畑に出て、
無肥料、無農薬の自然流の畑作りを楽しんでいます。

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でも、ここしばらくは、

長寿時代に、
誰もが人生の最後まで 
心身ともに健やかに生きる
秘密の健康法=「真健幸道」
の研究や執筆に 打ち込んでいます。

あ、健幸というのは間違いじゃありません。
心身ともに健やかに生きる・・・という意味で
あえて「健幸」と表現しているんです。

わずかな年金はありますが、
もう何年も、仕事らしい仕事もせず、

「おれは志事をするのだ。」などと言い訳しながら
好きなことばかりやって来ています。

贅沢ではないけれど、
けっこう心豊かな暮らしを
楽しんでいます。

蓄えなんてありませんが、
未来に不安を持つこともなく、

何歳になっても、目の前には・・・
やりたい事や夢が一杯で、
いつも 退屈するヒマが無い人生です。

(次回に続く)



by mahorobanokimi | 2017-04-14 02:12 | プロフィール

この春は何かが違う。


そう感じ始めたのは3月に入ってからだ


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静かだった里山の我が家「あ ほ~庵」に急に人がやってくようになったのだ。

それだけではない。
宿屋でもない我が家に、3月だけで、
延べにして 15人もの人が お泊り下さったのだ。
それも、初めてお会いする人や、
この家に来るのが初めての人も多い。

それらの人の中には、
治療院などで3か月治療師て治らなかった人だけ、
つまり「他の治療法では治療できなかった難病の人だけ」を対象にして、
全く独自の治療法で、瞬間に治してゆく名人や
医院の玄関に、「薬や医者には病気は治せません。」と書き出し、
根本治療に向き合う小児科医なども居られた。

何かが今までとは変わって来ている。

そういえば、2月には嬉しい知らせが届いていた。


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わたしたち夫婦がこの土地に大阪から引っ越してきたころ、
同じように引っ越してきた何組かの若いご夫婦がいる。

その中のお一人で、京都から 久米郡の棚田の村に越してきた
一人の仲間から、久々にメールを頂いた。
わたしの「健幸自立」の本を読んでくださった感想だった。


「時間がかかりましたが、著書 拝読させて頂きました。
 感想ですが、素晴らしい本でした。
 僕にはまだ未開の医療の分野。
 健康に気をつけ、
 多少の症状は 根本原因からの表れとして、
 まさに その通りに症状を見つめて
 元気に過ごせています。
 他に 気になることが多々あるので、
 今までは 医療の分野にまで 
 目が向きませんでした。
 これは、これからの本。
 親世代はもちろん、
 ピンころ目指して
 多数の方に 購読して 頂きたいですね。」



仲間たちに助けられながら、朽ちた古民家を
新築に近いところまで改修し、新しい家も建てた
知的で、素晴らしいイラストなども描くデザイナーの彼は、
移住から7年ほどの間に、
地域の移住仲間たちのリーダー的な存在になっていた。

そんな彼が、知らぬ間にわたしのkindle bookを読んで、
その本質を見事にとらえてくれていたのだ。
感想の中に、真摯に本と向き合い、
私の真意をしっかりとらえようと
向き合い続けてくれた
彼の誠実な姿勢が、ひしひしと伝わって来て
涙が出そうになった。

自給自足的な暮らしを構築しながら、
幼い子供たちを育てる日々の中で、
命と向き合い、
仲間たちや地域の人々との 
新たな人間関係を紡ぐ日々。

本では学べないような、貴重な体験も重ねる中で、
たくましく成長して来たその彼が、
健幸道を通じて私が伝えたかったことを、
見事に受け止めてくれていた。


何と嬉しいことかと、妻と語り合って間もなく
彼から電話があって、

今年は、住んでいる棚田の村ではなく、
人口の多い 吉備中央町でアースデイのイベントをやることになった。
ついては、そのイベントの中で、
私にも 話をしてくれないか、

というのだ。
何と嬉しいお話か!
もちろん喜んでお引き受けした。

今年の流れが 今までと大きく変わってきたのは、
どうも、この話を頂いた頃からだったような気がする。
それは今年の2月の事だった。




by mahorobanokimi | 2017-04-12 01:16 | プロフィール
もっと温かく穏やかで人間的な社会を作りたい。
自然や命を大切にする文明を創りたい。
そのために私に何ができるだろう。


そんなことを自問し続け、模索し続けて半生を生きてきました。

そう言えば一見格好よさそうですが、実態は話すも恥ずかしい恥じっかき人生。
わがまま未熟な私が、傷つけたり迷惑をかけたりした人の数は数え切れず。
とても胸を張って話せる過去ではありません。

でも、それだからこそ あなたと分かち合うこともある、そう思い勇気を出して自己紹介することにしました。

夢中で歩んだ私の四半世紀

★土建屋から意識探検の世界に180度転換
自分が勤めている建設会社の繁栄が、同時に自然破壊を手伝っていることになる、という矛盾の中で、もっと違う世界のあり方も可能なのではないかと考えるようになり、自己啓発のセミナーに出会ったのをきっかけに、20年勤めたゼネコンをやめ、従来と180度異なる意識探求とセミナーの世界に飛び込んだのが、ちょうど厄年の42歳の誕生日のことでした。

未熟なトレーナーとして受講生の皆さんには迷惑をかけながら修行させてもらう内に、態度変容に不可欠な、意識と体の結びつきや心身の統合というテーマに突き当たりました。

それ以来このテーマが頭からはなれることはなく、学びや研究を続けると共に、世界中の様々なセラピーやワークショップを体験し、また学んできました。そしてそれを新たなワークショップに生かすチャレンジを続けてきました。

★変動と挫折
10年経ったころ、働いていた職場のトラブルから失業、離婚そして生き方の再構築に向けた模索と放浪が始まりました。

ある精神運動への参加と挫折。そして土方や夜勤工員の体験。やがて腰を痛め、すべてを失って再起へのチャレンジ。

60歳を前に生活再建のために再びサラリーマン生活にもどり、再出発を模索する中で、新しい伴侶と出会い60歳で再婚。

★赤目自然農塾へ
勤めていた会社の行き詰まりでサラリーマン生活も3年で終了し、新たな人生を模索しながら、三重県にある赤目自然農塾(川口由一氏指導)で学ぶため、大阪から名張に移住。
川口由一氏の誠実なお人柄と、自然に対する謙虚な姿勢に かけがえの無い多くの学びを頂きました。

また、お陰さまで 多くの方々にサポートを頂き、青山に250坪もの畑地を無料でお借りできたり、米作りを教えていただきながら、少しお手伝いをしただけで、充分すぎるほどのお米を頂戴したり、自然の豊かさと共に、人の情けの豊かさも十二分に体験させていただく事ができました。

一方名張に移住して3ヶ月で、ご縁あって またしても次の広い住まいに転居し、ここで町から来た人たちをお迎えして自然や自然農に親しんだり ワークショップを開きながら楽しく充実した日々を過ごしていました。


★再び大阪へ
3年余りの三重県での農的な生活の後、「多くの人々に触れながら、自らも学び、また人々の成長をサポートする」という目的で大阪に出てきました。

☆大阪に戻ってから1年半ほどは、意図的な人生を創造する意識探検のツール「アバター・コース(R)」のマスターとして全力投球し続けていました。生徒さんの自分探検と自立ために、自分を脇に置き続けるという体験は、(自分が受講するセミナーなどでは直面できない)今まで気づいていなかった自分のアイデンティティーやパターンを浮き彫りにしてくれる得がたい学びの機会を数知れず与えてくれました。
  http://www.avatarj.com
http://www.avatarepc.com/jp/index.html

☆そんなある日、「神との対話」の勉強会で出会った面白い不動産屋さんこと望月昇さんとのつながりから、NPOワンネスで活動する生活が始まりました。
それ以来3年間、大阪を中心にNPO法人ワンネスの活動や、そこから派生した大阪市社会福祉協議会関連の委員会の活動などをやらせて頂きました。
結果として、団塊の世代の方々の健康創りと生き方見つけに関する講演やワークショップをやらせていただく機会が多くいただけました。感謝です。
     
☆仕事面では、箕面の整体院で、楽健法や操体法を生かしたヒーリングを通じて、色んなお客様から 人生を学ばせていただきました。スタッフ自身の心身の健康と温かい人間関係に配慮した 整体院の風土創りがうまくいき、心身ともに癒されるヒーリングスポットとして定評を頂くところまで成長してきました。

✩また親友入江富美子さんの監督第2作目「「光彩(ひかり)の奇跡」でナレーションを担当する機会に恵まれ、生まれて初めての体験を楽しんでやらせていただきました。
前作「1/4の奇跡~本当のことだから」と共に、人間の素晴らしさ、一人ひとりの大切さを実感する素晴らしい映画です。機会があればぜひご覧下さい。
http://www.yonbunnoichi.net/hikari/



大阪での暮らしも3年を越し、多くの方々と触れ合いながら、人々の心身の健康創りや自己成長のお手伝いをするという活動も、次の段階に移行する時が来たと感じ、今私たち夫婦が目指したいのは、自然の中で 大地に足をつけた、全人的な喜びに満ちた生き方を実践することだと自覚するに至りました。。

そこでその適地を探しておりましたところ、上記ドキュメンタリー映画「光彩~ひかり~の奇跡」などでのボランティア活動で親しくなったすみれさんのご援助で、岡山県の和気町に古民家を貸してくださる方に出会わせていただき、21年2月末に移住を実現することが出来たのです。

★天国のような里に住んで

広葉樹の緑が眩しい山並みに抱かれ、眼下に吉井川のきらめきを見晴るかす戸数35戸の小さな集落には、もう失われたと思っていた温かい人情と、純朴で優しい人々が、支えあって暮らしておられました。
この里には まさに、古き良き時代の日本的な輝きが、まだそこここに息づいているのです。

不慣れな新参者をいたわり、だまって野菜を置いていく人、草刈の行届かない私の未使用の畑の草を黙って刈ってくれている人、獣除けのフェンスをつくるネットを貸してくれる人、引越しで疲れたでしょうと温泉のチケットと栄養ドリンクを持ってきてくれる人、どうしてそんなに親切なんですか?と聞きたくなるくらい親切な里人たち。

小鳥達のさえずりやセミの声に体を包まれながら、草ぐさや虫たちの命が溢れる畑のエネルギーの中で野菜作りをしていると、文字通り時の経つのを忘れます。
畑での朝の一仕事を終わり、窓辺に座って、日々めまぐるしく変化する山河の美しさに見とれながら 朝昼兼用のブランチを1時間半かけて楽しむ豊かな日々。
自然の中で 大地に足をつけた、全人的な喜びに満ちた生き方を実践するという 私達の夢は、すでに今ココにありました。

移住後近くのすみれさんの古民家を借りて続けていた「暮らしイキイキ塾」やその後我が家「あ ほ~庵」で続けていた「あ ほ~塾」などを通じて、多くの気心の通じる親しい仲間のネットワークができました。

また私達が移住する前から、準備が進められていた「スローライフ ネットワーク岡山」にも関わらせていただいています。平成21年5月に正式発足したこのネットワークには、、環境運動で活躍中の方や、自然農を実践中の人、自然を愛するアーティストなど様々な分野の多彩な方々が、平成23年8月現在で250名近くも登録されています。
 http://www.freeml.com/slowlifenet-okayama 

私は、土と水と光に繋がり、生命のめぐりを 何よりも大切にする仲間達が手を繋ぎ、与え合い支えあい、たとえ今の経済アシステムが破綻しても 何の支障にもならないような 愛のコミュニティーを 少しずつでも築いて行きたいと考えていますが、今身の周りで起きつつある、上記のような状況を見ていると、このような夢が実現するのは、そう遠い未来ではないという気がしてきます。

★東日本大震災の日を境に新たなステージへ
幸せに満たされた田舎暮らし。こみ上げる感謝の思いを、どうやって表現していこうか・・ そんなことを考える日々の中、テレビも新聞も無い我が家にも、東日本大震災のニュースが伝わってきました。

その直後、福島の友人から家族を連れて緊急避難したいからしばらく住まわせてほしいと電話が入りました。かねてより予想していた大きな変動が、いよいよ現実化するときが来たと感じました。

✩おいでんせぇ岡山への参加と活動
この友人自体は、結果的に我が家には来ず、名張に落ち着いたのですが、間もなくスローライフネットワーク岡山のメンバーでもある吉備津彦神社神職の西江嘉展氏から、被災者受け入れ支援グループ「おいでんせぇ岡山」へのお誘いを貰ったのです。
http://www.oidense-okayama.me/about.html
3月20日の初ミーティングからおいでんせぇ岡山に参加した私たち夫婦の生活は、にわかに忙しいものになりました。
それからの動きの一部はブログにも書いていますが、ほとんどブログで発信する暇も無い状態に突入し、空き家募集から物件調査、HP作りから問い合わせへの対応システムや情報管理システムの構築など、仕事の合間にボランティア活動する仲間たちとの夢中の取り組みが続きました。

当初予想していた福島や宮城からの移住要請が、実際はほとんど無く、大半が関東圏からの母子一時避難の支援要請であることが明らかになり、その数が見る見る100件を越える状況の中で、おいでんせぇ岡山は懸命に対応システムを変化させながら支援を続けてきました。

✩「やすらぎの泉」の開設
母子の一時避難の要請がうなぎのぼりになる中、同じわけ町内に住む延藤好英牧師からの申し出に応じる中で、シェアハウス開設の企画が生まれ、一気に実現する運びになりました。これについては、ブログの中で詳述しております。
また「やすらぎの泉」については、なれない中悪戦苦闘しながらホームページを作ってみましたのでご覧下さい。http://wake-yasuragi.jimdo.com/

このシェアハウスによって、私が従来から痛感していた「関係性から学ぶ」ということの重要性や効果を、目の当たりに見せていたあけるようになった気がしています。ありがたいことです。

✩東日本大震災は神一厘の仕組みのスタートベル?
金光、黒住、天理、大本から「ひふみ神示」「火水伝文」「日月地神示」を通じて下ろされ続けて来た日本神界からのメッセージを誠実に受け止める時が来ていると思います。
神々から繰り返し説かれてきた「建て替え、建て直し」は、このたびの東日本大震災により一段とその時期の到来をリアルに実感させるもになったと私は思っています。

おいでんせぇ岡山の活動も、仲間たちは「国創り」の活動と捉えています。
東日本大震災や原発事故を通じてあらわになった、既存の社会システムの限界に、一人ひとりが目覚め、真に愛と喜びに結ばれる新たな世に向けて建て替え立て直すのは、一人ひとりの自覚と御魂磨き、そして今ここの足場で日々を喜びに生き切る実践のみだと思われます。

☆そのような時代の意味や私たちの使命を今、深刻な形ではなく、うれしたのしの唄語りでお伝えくださっている方が、タケさんこと「神人(カミヒト)」さんです。
今後一人でも多くの方が、神人さんに出会い、その唄やお話に触れてくださったらと願っています。
http://homepage2.nifty.com/kamihito/kamihito.homepage.index.html
http://love.ap.teacup.com/kamihitofriends/1.html

☆新たなコミュニティー創造の夢
「やすらぎの泉」の開設運営を通じて、色々な人々が支えあいながら共に暮らす生活の持つ価値や意味が、今まで考えてきた以上に大きいことを、私たちは確信しました。
同時に、経済原理と権力組織が優先される社会で、原発情報や医療情報も真実が覆い隠され、弱者が単なる道具として使い捨てられていく姿にはもう期待できないと悟りました。

「今までになかった命の仕組みに添った社会を創りたい。」
「人々がありのままの自分を受け入れ、そのよさを存分に生かして、本当にしたいことをやっていれば、皆がうまく行くようなコミュニティーがきっと創れるはずだ。」
「人によって人は育まれる。子供たちを、様々な人々が、まるで大家族のように深く繋がりあい、補い合って生きるコミュニティーで育てたたい。」

「そんなコミュニティーの中でこそ、和多志とは何者か?和多志がどんなに素晴らしい、かけがえのない存在なのかが、自然に、体験的に理解され、そこから本来の自分らしい人生が紡ぎ出されるのではないでしょうか?」

☆コミュニティー創りの核になる学問を求めて・・・
持続的なコミュニティーを創る軸には、人々が自らの素晴らしさを生かしながら、互いに響き合い協力し合えるような関係性の構築が、必須です。
そのための学問的裏付けのある共育の仕組みも必要と考え、この2年ほどは、岡山を留守にして学びの旅を続けてきましたが、ほぼそれも山を越し、再び岡山に戻って、より実践的な学びと土に根ざした暮らしの基盤作りに取り組み始めました。

☆再び原点に戻って・・・
74歳になる和多志と2回り若い妻の、決して器用とは言えない人生行路ですが、生育歴も人生体験も、ほぼ正反対と言えるほどの二人がパートナーになったからこそ、そしてお互いに、お互いの違いの価値に気付きながらの15年間の結婚生活があったからこそ、今確信を持って話せることも多々有ります。

今年の和多志たち二人の目標は、とにかく喜びに生きること。
徹底して、内なる自分が楽しいと思うことを、実行することです。

そして、今年から和多志は、人生シナリオの大きな要素の一つである、健幸創造への指針となる健幸学の構築に向けて本気で取り組みます。
幼少時より、西式健康法により育てられ、西勝造博士の後ろ姿を見て学んできた体験と、30数年にわたる心身統合に関する研究体験と、そして最近の量子論的宇宙観や、微生物との共生を含むホリスティックな生命観に基づいた、統合的健幸学を深めながら、自他共の健康寿命延伸にチャレンジして行きたいと考えています。

岡山の暮らしに戻って間がなく、ホームページやブログにも、まだ手が回らない状況ですが、これからは、ぼちぼちと本音の発信を始めていこうと考えています。

私たちの今の取り組みについては、 しばらく休眠していた「あ ほ~庵」のホームページにも盛り込んで行きたいと思っています。

by mahorobanokimi | 2013-01-08 14:12 | プロフィール