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老いの春を、煌いて生きる

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悔いなく生き切ることを目指す75歳の青春日記

田中優さんに学ぶ 和氣楽 月に一度の勉強会、今月は19日夜に開かれました。
会場は和気駅前、中銀跡地のエンターワケ。
今回のテーマは、平和のつくり方。
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東広島や倉敷方面からの参加者もいらっしゃって、20人を超える盛況ぶりでした。

以下は、その夜の優さんのお話の一部から・・・

太平洋戦争で亡くなった兵士は200万人、しかしその6割は餓死や病死。
特攻隊でも多くの(資料で見ると8割以上の)パイロットたちが、途中で撃墜されてしまったとのこと。
また人間魚雷に至っては100人以上が散って、成果は3艘という無残さでした。(数字は勝部補足)

しかし、1914年第1次大戦中の英独戦線でクリスマスに起きた、自然発生的なつかの間の休戦の逸話などを見ると、本来人間は人を殺したくないし残忍ではないと思われる。
(参考’戦場のクリスマス休戦についての詳細はこちらで)

次に、ブーゲンビル島でゲリラとして戦っていて、後に自治地区の初代大統領になったタニスさんとの出会いの話をしてくださった。
タニスさんは同じ民族同士で戦う虚しさに気づき、自分たちは敵を撃つのを止め、敵が来たら、撃つのを止めようと書き残しては逃げる作戦を続け、敵との話し合いでは、「嫌なら俺を撃て!」と敵の指揮官の前に銃を置いて、命懸けの談判を成立させたというのだ。

すごい勇気ですね、と優さんが聞くと、
「私だって前線で戦うのは怖くて仕方がない。でも、味方同士の争いをやめさせて、平和を作るために死ぬのだと思ったら、命は惜しくないし怖いとは思わない。」と答えられたそうだ。
(この逸話の詳細はこちらで)

戦前戦中に、戦争反対と叫び続け3度も投獄された104歳のご老人にあった時の話もされた。特攻機で突っ込むのも勇気が要っただろうけれど、たった一人で国賊呼ばわりされながらでも、一市民として戦争反対を叫び続けた人の話は、心に響いた。

「平和を作るためなら、命は惜しくない。」と言ったタニスさん、3度投獄されても、一億玉砕が叫ばれる国内で戦争反対を叫び続けた人、こんな真の命懸けが必要な時代に来ているのではないだろうか。

戦場で命懸けの人殺しをした兵士たちの人格崩壊の無残さ、そして既にアメリカやイスラエルがやり始めている、完全電子化のロボット兵士による無慈悲な殺戮、それをビジネスのチャンスと捉えて動き出している日本の政財界・・・と話は続く。
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そして、近代の戦争がすべて、石油や天然ガス、鉱物資源、水などとそれを運ぶパイプラインや輸送路が火種なのだということと、戦争や武器の生産に私たち日本人の預貯金が、どれだけ効果的に使われているかという、大きな仕組みの話が実にわかりやすく話され、まさに目からウロコの思いがした。
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最後には数人の方が質問する場面もあり、みなさんの真剣度が伝わってきました。
また僧侶の方や牧師さんも参加されていましたが、宗教家にも行動される方がおられるのだなと嬉しくなりました。
(正直なところ、人間の尊厳や生き方をテーマとする宗教人の方々の大半について、余りにも不勉強であったり、実践行動がないことについて、私個人的には寂しい思いを持っていましたが、命のプロ達が今声を上げずして、神や佛を特資格があるのかとさえ思います。)


正直なところ私の中にも、政治問題について意見を言うと周りから煙たがられるとか敵を作るとか、原発や戦争への反対意見を公開すると、権力側から睨まれ危険だ、とか恐れる気持ちがあって、あまり公には意思表示しては来ませんでした。
しかし、今の日本のあり方や流れの方向を見ると、もうそろそろその恐れを手離し、声を上げる時が来たのかなと感じた夜でした。悔いなく生き切ることをモットーにしている自分なら尚の事・・・だと思います。


◆ 和気町という田舎町の片隅での、ささやかな勉強会ですが、田中優さんという全国から待たれている環境問題の専門家が関わってくださっているというのは、本当にありがたい事だと思います。

◆ また、最近は和気町の役場でも意識の高い方が動いてくださって、先日は東京から岡山に避難移住してこられた医師の見た先生の講演会を町主催で開いてくださいました。
この時には町長も自ら参加し、終わりまで熱心に耳を傾けておられました。

また、その2回目として原発問題に取り組んでおられる守田敏也さんの勉強会も開かれました。
放射能被害の恐ろしさについて、マスコミでは聞けない現状と、今後の可能性についても詳しく教えていただきました。

国が、現実を覆い隠そうと躍起になっている時に、行政自ら真実を直視し、町民のために活かそうという姿勢を示していただけることは、この美しい町に惚れ込んでいる移住者の一人として、本当に嬉しくありがたいことだと思っています。


◆ このような状況に視点を広げるとき、震災から5年経ち、放射能被害が明確な症状として現れてくるこれからの時期、東北の被災地はもちろんですが、関東県からの移住者も一気に急増する可能性があります。

◆ 一方、過疎高齢化で和気町消滅という未来も見え始めている今こそ・・・、議会も行政も町民も力を合わせ、若者を交えた様々な人々が移住してきて、賑わいを取り戻す和気町実現に向け、明確な未来ビジョンを描き、その実現計画を創り、実践に移す時が来ているのではないでしょうか。

◆ この二つの事象を考え合わせると、和気町の未来図を明確にし、実践への歩みを始めるのに今を逃す手はないと思います。被災者や放射能に怯えて逃げてこられる子育て中の方々には申し訳ない気がしますが、和気町が蘇る絶好のチャンスであり、移住してこられる方々に対する最大の貢献になるような未来図を描けば、お互いに幸せになるチャンスではありませんか。

◆ おりから町おこし協力隊の若者たち8人も活動しており、彼らは全員がICUの大学生または卒業生や中退生というインテリ集団でもあるようですし、その彼らの柔軟で優れた頭脳も動員してプランを考えるにも絶好のチャンスだと思われます。彼らを日常的な作業の助っ人だけで終わらせるのはなんとももったいない気がします。

◆ 既に、100年の森という長期ビジョンを掲げ森の学校などを開き実践を進めている西粟倉村や、村全体を森林博物館にすることを目指し、また「麻」の栽培を新たな鍵に未来創造を進めている鳥取県智頭町などに、若い人たちが集まり始めている現実を直視し、一日も早く、この和気町でも未来創造へのスタートを切り、移住希望者を惹きつけ受け入れる体制を整えていきたいものです。

そのためにも、この町に住む人誰もが、過疎高齢化に向かう現実を直視し、そのうち誰かが何とかしてくれるという甘えがもう通用しない時代に来ていることを自覚して、それぞれのできることから始めて行く時が来ているのではないでしょうか。
# by mahorobanokimi | 2015-08-21 13:38 | 新しい社会の在り方に向けて
2週間にわたり、昼夜を分かたずボランティアに駆けつけてくださった100名もの方々のおかげで、和気駅近くのシェアハウス「やすらぎの泉」は2011年7月2日にオープンし、ただちに移住第1号の母子さんを受け入れることができた。
あれから満4年の月日が過ぎ、4周年記念の感謝祭を開きますから、参加してくださいとお声かけ頂いた。

真夏の太陽がガラス張りのファサードに照りつける、和気町中央公民館で開かれた感謝祭には、子供連れの移住者さんたちの元気のいい声が行き交い、子供たちが駆け回っていた。

赤いアロハの延藤好英牧師が、相変わらずの柔和な笑顔で迎えてくださる。

懐かしい顔ぶれのお母さんたちや、初めてお会いする母子さんたち、みなさんそれぞれに役割分担してお忙しそうだ。

この日の進行や運営は、すべてお母さんたちが担当。自立を促進したいという延藤さんのご配慮が現れていた。
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この4年の間に、シェアハウスは3号等まで増え、実数で151組の母子さんがシェアハウスに滞在。そのうちの3分の1の母子さんが岡山に移住してこられているとのこと。

未知の土地に来て、同じ立場の仲間の母子さんたちと片寄せあいながら過ごす何日かの間に、岡山を知り、和気町に馴染み、3組に1組の方が、移住して来られたということだから、シェアハウスは間違いなく、その役割を果たしてきたと言えるだろう。

その間、受け入れの細かな打ち合わせから、日々の暮らしや子供さんの医療、教育のことまで、行き届いたサポートをやり続けてくださった延藤ご夫妻のご苦労は、察して余りあるが、お二人が大変そうな顔を見せられたことなど一度もない。いくら牧師さんといっても、すごいことだと思う。
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2011年以来、根気よく移住者の受け入れのお世話や相談相手をし続けてくれている、おいでんせのリーダーゆうゆさんも忙しい中を駆けつけてくれた。
ヒーラーとしての自分の仕事以外に、ミュージシャンとしての活動、県内各移住者受け入れ窓口の横の連携業務、そしておいでんせの業務や広報と、出会うたびに若々しく元気になられている気がする。
お人のために、労を惜しまず喜びで駆け回るゆうゆさんに、天もエネルギーを送ってくれているんだろうなと想像する。
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すでに、和気から他の町に移住した母子さんやご家族も駆けつけ、あちこちで楽しい会話が弾み、子供達も楽しそうに走り回り、出合を楽しんでいる。
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お母さんたちの手作りのおにぎりや餃子の会食が終わると、お母さんたちのゴスペル合唱。
放射能に追われ、ご主人とも離れて暮らさざるを得ないという境遇を、新たな出会いと喜びのチャンスに変える力になったに違いないコーラスの日々を思わせる、喜びのエネルギーに満ちた和やかな演奏だった。
中には、終始涙を浮かべて歌っているお母さんも・・・。
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移住後にヤマハのピアノ検定にも合格した子供さんの電気ピアノ演奏や、何組かのフラダンスの実演と内容豊かなイベントも、和やかに進行。
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そして、シェアハウス体験者の中で、和気を離れ岡山市内へと移住する3組の母子さんの送別の祝福
では、そんなに遠くでもない岡山市内への移住なのに、涙で抱き合う方が多かったのも、母子さんたちの和気での暮らしがいかに親密で温かいものなのかを証しするようだった。

核家族の中で育ち、マンション暮らしで近隣との交流も少なく、まして安全キャンペーンを信じる人々の中から、故郷を去る時には、夜逃げをするような肩身の狭い思いをし、孤立感を味わいながら移住して来られた母子さんたちが、安心して本音で関われる仲間たちと出会えた喜びは、体験していない私たちにはわからないものかも知れない。

仲が良い中にも、時には感情の行き違いや考えがぶつかる時もあるだろうが、それも包み込むような、一種のコミュニティー的な輪が、ここにはすでにあることを実感した感謝祭だった。

わたしたち夫婦が夢見る、新たな時代に向かうコミュニティーは、まだ具体的な形にはなっていないけれど、ここにある大らかなコミュニティー的なつながりは、もうすでに新しい時代の雛形のなりつつあるのかも知れない。
できれば、その流れをさらに育み、和気の町ごと、新しい時代のシンボルになるようなコミュニティータウンにできたら嬉しいなと思った。

シェアハウス作りの中心にいた妻の由実が横にいないのがちょっと残念だったが、光栄にもお母さんたちから、わたしも花束を頂戴した。お母さんたちにご負担をお掛けして申し訳ないという気持ちも湧いてきたが、それよりも気持ち良く、お母さんたちの気持ちを頂こう、と由実と二人で受け取らせてもらった気持ちで、いただいてきた。
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玄関に飾った花瓶の陰で、人形のジジとババが微笑み合っていた。
# by mahorobanokimi | 2015-07-26 18:47 | おいでんせ・やすらぎ関連
もうすぐ夏休みだというのに、お日様の顔を見る日がめったにない。

しばらく留守をしていたので、梅雨の合間に畑に出て見たら、思いのほか豊作である。
特にトマトやトウガラシ類が、もうすぐ最盛期というような勢いで実を鈴なりにしていた。

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雨が多い割に、トマトは弾けてもおらず、糖度も十分。
早速感謝して、食卓は茄子科とキウリだらけの料理をいただく。

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雨模様になるとカエルたちが一斉に合唱を始める。
雨が上がると、小鳥たちの鳴き交わす声が、途絶えることなく聞こえる。

のんびり1時間も、景色を見ながら過ごすブランチは、最高に贅沢な時間。
水嵩の増した田原井堰も、緑に染まっている。
和氣の町を囲む山並みが、雲霧のベールで奥行きを増し、風水画的な趣を見せてくれる。

コンクリートの壁に囲まれ、小さな窓からは隣のマンションしか見えない、電磁波だらけの空間。
ここ一年、町でのそんな暮らしも体験して来たお蔭で、此処の暮らしの素晴らしさが身に染みる。

しかし、今町に住んでいる多くの人たちは、こんな暮らしの価値を、まだ余り知らない人も多いし、
体験しても、やはり便利な街の暮らしの方が、という人も多い。

もちろん人生で何を重要とみるかは人様々。違っていて当たり前。
しかし、最近町の暮らしに戻ると、衣食住どれをとっても、生命力を高めるのとは反対のものが
余りにも多いのを実感する。

懸案の健幸道の研究や講習資料創りは、幸い順調に進んでいるが、霊身体一如のホリスティックな
健幸を追求すればするほど、今の社会の仕組みやパラダイムの矛盾が顕わになり、街の暮らしや、
既存の常識という枠組みで矛盾を感じずに生きている人たちに、つい、これをお伝えすることの難しさを
考えてしまう。

せめて、月の内何日かでも、人々が草深い田舎の土を踏み、生き物たちの気配の中で静かに自分を
いつくしむ時間がとれたなら、無理なく聞いて頂けるかもしれないなあ・・・などと考える。
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裏庭の小さなカメの中で、睡蓮の小さな花が、たった一輪咲いていた。
物言わぬ睡蓮が、「どんな環境や状況でも、自分に相応しい花を咲かせれば良いのです。」
と言っているように感じられた。

# by mahorobanokimi | 2015-07-12 09:54 | 「あ ほ~庵」日記
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初夏の日差しのもと、軽快な草刈機のエンジン音を響かせる人々の姿。
恒例の、部落総出の草刈りの光景だ。

下は30歳代から上は90歳過ぎまで、約30人の男女が、片鉄ロマン街道と呼ばれる自転車専用道路の下の大斜面や、田原井堰に望む河川敷公園の草を刈り、ゴミを片付ける。

長年農作業に親しみ、草刈りなど文字通り朝飯前にやっているような人たちだから、確かに手際は良いが、中に入ってみると、大半が70代後半から80代半ばの高齢者で、急な斜面を上がるのに、「最近筋力が落ちてねえ。」とぼやきながらヨタヨタという感じの人がほとんど。

ここ数年、見慣れた顔がポツリポツリと見えなくなり、村にいても体の調子が悪いので、出てこられない人たちも増えて来ているようだ。
この部落でも、高齢化が、急激ではないが確実に進行している。

もう10年もすれば、かなりの人たちの顔が見られなくなることは、まず間違いあるまい。
少なくとも、この急斜面の草刈りを、平気でこなせる人はほとんど居なくなると予想される。
一方、亡くなった方のご子息が外の町から戻ってきて、ここに住み始めたというケースは案外少ない。

そして、空き家のなった家は、誰かに貸すでもなく、多くの家具荷物とともに静かに眠っている。
ご子息たちは、他の町で働いており、当面、里に戻って住む気はない。
となると、朽ちていく空き家が増え続け、過疎化も確実に進行していく。

こうして高齢化と過疎化は対になって進行して行く。
高齢過疎化がさらに進み続ければ、亡くなる人が増えるし、高齢者施設や病院に移る人も増える。
孤食、孤独死などが加速度的に日常化し、最後には部落消滅さえもリアルな想定の一つになって行く。

中央の大都市でも、高齢化はよく言われるが、地方の山村などでは、それが部落の崩壊にまで繋がりかねないという、嬉しくないが避けられそうにない現実が、目前に見えて来る。

そこまでイメージすると、具体的に、流れを食い止め、若い人々のこの町への移住を促進するにはどうすれば良いのだろう・・・という議論があちこちで為される・・・筈だ!
・・が、現実には行政も議会も、そこまでの真剣さを見せてはいない。
おそらく、「今までもなんとか成って来たのだし、また明日も何とかしのげるだろう」・・程度の漠然とした認識だけで、できるだけ深刻な未来イメージからは目を背けようとしているかに見える。


とまあ、ここまで書いてきて、筆者の頭には昨日30日、和気公民館で開かれた三田医師の講演会が渦巻き始めている。

★すでにこの町には震災後、多くの移住者が来られている。
★ニーズの高まりに合わせ、和気のシェアハウスは3軒に増えた。
★講演会を視聴した人は、ネット放映を含め500人にも及ぶ。
★岡山県は、過去3年連続、移住して見たい県のベスト3に常に上がっているのだ。

このような事実を見れば、震災による移住者の増加は、この町の過疎高齢化の進行を遅らせ、やがて若者も交えた活気ある町に蘇らせる大きな契機になりうることを示唆しているのではないのか。

放射能に追われて逃げるように移住してくるのは、悲しい悔しい、そして不安なことに違いなかろう。
しかし、ピンチはチャンス、と考えることもできる。
移住者さんたちが、この地でしか味わえない喜びや安心感や温もりを体験する大きなチャンスをもらったと思えるような受け入れ環境や条件を準備できたとしたら、子供ずれの若い家族の移住も大きく促進されるのではないだろうか。

関東の大都市から来られる移住者には、優れた技術知識をもった若い人たちも多い。
小さな田舎町にとっては、願ってもない人材にも来てもらえるチャンスなのだ。

幸いにも、昨日の講演会も町役場の主催で、町長始め役場の皆さんが、最後まで関わってくださった。
役場の皆さんも、震災に関わる移住が、町の世代構成を若返らせる契機になる可能性を、感じてくださったのではないか。

今のところ、ご主人の仕事が見つからないと生活ができないということで、ご主人だけを関東に残しての、母子さんだけの移住が圧倒的に多い。
しかし、家族は本来一緒に住むのが望ましいのは言うまでもない。
就職機会や収入の機会が増えれば、家族ぐるみの移住者も増えるに違いない。

同時に、都心に住むのと、和気のような田舎に住むのでは、生活費の桁が違うことが理解されるようになっていけば、給料の安い職場しかなくても、移住に踏み切られる家族も増えるのではないか。


以上のことから、収入の機会を増やしながら、安い賃貸住宅などの紹介もしていけば、やがて移住者は、確実に増えていくのではないか。

折柄、和気町には、公的負担により招かれた町おこし協力隊の若者隊8人も来て、活動中だとのこと。
まさに、この町は、高齢化社会の明日を開くパイオニアになる鍵を、すでに手に入れていると言えるのかもしれない。

新たな収入機会を作ることは容易では無いかも知れないが、この町や近辺には和気清麻呂公や津田永忠関連の遺跡も多い。荒神城址や美しい森などの他、温泉や片鉄ロマン街道などもある自然豊かなこの町を、観光立町することだって、熱意と創意工夫があれば可能なのではないか。

議会、町役場、商工会、そして町の人々を交えた、プロジェクトチームを組織し、タウンミーティングを繰り返す中で、きっと様々な知恵が出てきたり、人々の意識の進化と協調体制が整って行けば、やがては、活気の溢れる日本一幸せな村を創造することも夢ではなくなる・・・と私は信じる。

三田医師の講演会と部落総出の草刈り、この二つのコントラストが、奇しくも町の未来を開く鍵を見せてくれたような昨日今日だった。
# by mahorobanokimi | 2015-06-01 23:26 | 新しい社会の在り方に向けて
5月30日和気町の主催で、画期的な講演会が開かれた。
タイトルは「私が東京を去り、岡山に移住した理由・一開業医の判断」
講演者は、50年もの歴史のある医院を閉めて、東京から移住して来られた医師の三田茂先生 であった。
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(開催の経緯を話されるやすらぎの泉管理者の延藤好英牧師。壇上は三田茂医師)
筆者も関係して解説したシェアハウス「やすらぎの泉」を足がかりに関東各地から、移住して来られたお母さんたちの思いを受け止めた、和気町役場の英断で開催された講演会であった、

3.11震災による放射能の影響から子供を守るために、多くの方がご主人を関東に残し、母子だけで、見も知らぬ岡山の田舎町に移住して来られた方々の現実や思いを、受け入れる和気町民としても理解することが望ましいとの、町側のご判断だと思われる。

会場を埋めた約200人の参加者、そしてIWJの中継を見た人が約300名とのことだった。
自然災害も少なく、長らく平穏な暮らしを続けてきた岡山の一地方の多くの住民の多くにとって、東日本大震災は、対岸の火事程度の認識しか無かったのではないだろうか。

人口15.000人少々の田舎町の主催で、500人もの人が放射能被災者の現状に触れる講演に耳を傾けたのは画期的なことではないだろうか。

三田医師の話しぶりは地道な調査と自分の体験に基づく誠実なものであったが、放射能汚染による人々、特に子供達の被害状況について、チェルノブイリの体験に重なる、凄まじい状況が日本でも起こりつつあることを実感させるには十分であった。

また、最後の質問に出た高齢者の状況については、免疫力の低下している高齢者の場合は、ちょっとした病気にも持ちこたえるだけの力がなくなっており、ちょっとした病気でも短期間に亡くなられるケースが激増しているとのことだった。

関東以西の汚染地域の人々は、全員すぐにでも移住することが望ましいが、同時に、被災者救済の名の下に、汚染した米が偽装して西日本で売られたり、汚染した薪が流通して、汚染したピザが売られていたりという状況を見る限り、最も恐ろしい内部被曝も日本中にばら撒かれる恐れがある。
汚染したセメントが入ったコンクリートで作られたマンションに住んだ少女が、高濃度の被曝をしたケースも話された。

福島をサポートしようの掛け声で、汚染された食料が日本中にばら撒かれてはならない。
日本の未来のためにも、西日本は汚染から守らなければならない、との叫びが心に残った。


微生物でできる放射能除去の技術も封じられているとのこと。
そして相変わらず宮城を始め、汚染数値を正直に出さない行政のあり方。
汚染地の農作物を、岡山の地元さんと混ぜ区別がつかない状態で販売するJAの販売店、この国の経済や政治、行政の仕組みには、人々の健康や幸福を願う思いやりが欠如しているとしか思えない。

そんな中で、和気町がこのような講演会の主催を引き受け、町長自らあいさつもし、最後まで傾聴された姿勢は、なんとも頼もしく、この町の未来に光を見る思いがした。

お骨折りいただいた町長始め、町役場の皆さんと延藤牧師や移住母子さんたちに、心からの感謝を贈りたいと思う。

この講演会の流れを、過疎高齢化が必死のこの町の未来にどう繋げるかについては、次回取り上げてみたい。
# by mahorobanokimi | 2015-06-01 20:30 | 新しい社会の在り方に向けて
✳️ 福島で、自衛隊の救助活動が、なぜ際立って目覚しかったのか!

福島の震災に駆けつけた自衛隊の、目覚しい働きを記憶されている方も多いと思います。

そのとき、同じように駆けつけた警察の救助隊も、頑張って活動されたようですが、自衛隊の動きと大きく差が出たと、自衛隊関係のある方から伺いました。
もちろん、被災者さんを助けたいという強い思いは、自衛隊も警察官も、変わりはなかったともいます。
しかし、現実の動きには、差があったというのです。

何がその差に繋がったのかを聞いて、わたしはナルホド、と大きく頷いてしまいました。
あなたは、何が大きく影響したと思いますか?

もちろん、日常の任務の違いから、装備や技術の差もあったでしょう。
しかし、一番大きかったのは
「自衛隊は、敵との戦いを勝ち抜き、国を守るために、あらゆる状況を想定し、それにどう対応し克服するか?を考える訓練を徹底して行っている。」ということだったのです。

わたしも詳しい訳ではありませんが、おそらく「街の治安を維持し、平安を守る」ことを任務とする警察には、日常的に、そこまでの能力は求められていなかったのでは無いでしょうか。

✳️ 日本の教育のあり方のもつ限界

その話を聞いて、戦後わたしたちが学んできた教育のほとんどは、既存の知識情報の丸暗記であり、他にやったのは、せいぜい、それらの応用方法を学ぶことぐらいだったのでは無いでしょうか。
つまり、常に◯✖️のつく、言い換えれば、正しい答えが決まっている情報処理だったということです。

実際に学校を出て、仕事についてみると、どれを選択したら正しいのか分からないような場面に次々出会い、痛い目にも会ったことがありますが、実社会では当たり前のことですよね。
だって、正しさや実用性、最適化なんて、全てケースバイケースなんですから、知識や情報も、「状況対応の使い方や、不足する情報をどうカバーするか、推定や創作するか」、というような能力が必要になりますよね。

文科省がいくら「子供達の主体性や創造性を育むことが重要」、と強調しても、実態がほとんど変わらなかったのも、正解を前提とした教え込み教育がほとんどだったことの当然の帰結のような気がします。

✳️ 様々な場面や展開を想定する能力と、
創造的思考能力


組織のあり方に疑いを持ったり、主体的な探究心で組織の欺瞞まで見抜いて追求してきたり、
そこまでしなくても、自分にはもっと自由で価値のある働き場がありそうだと主体的に考え、
探求し、工夫したり行動したりする・・・、
あるいは、株主や経営者だけが甘い汁を吸い、自分たちが巧みに搾取されているようだから、
なんとか改革してもらおうと食い下がってくる勇気と知恵のある人・・・、
そんな人間は、経営者や政治家にとっては、あまり嬉しくない存在かも知れませんね。

だからこそ、そんなことは、考えもしない従順な羊のような労働者を育てる教育が、
あえて行われ続けてきたのかも知れません。

実は、そんな、教え込み教育の限界を大きく超える共育の知恵が、昔の日本には、すでに生かされ実践されていたことを、わたしは最近知りました。

✳️ 郷中教育における詮議というトレーニング法

薩摩藩で行われていた武士の子弟の教育法に、郷中(ごじゅう、あるいはごうちゅう)教育というのがあり、その中の詮議という科目が、まさにケーススタディーを中心とする、実践的な思考訓練法であり、多観点化と創造的思考を育てるディベート的共育だったそうなのです。

もちろん、当時のものは、忠義や孝行などの価値観や、武士としての厳しい躾、そして武道の修練なども大きな要素だったと思われますが、やはりいざという時に、起こりうるあらゆる場合を想定する俯瞰力や達観力、そして深い洞察力、と多観点から選択を絞り込める判断力などが、今の教育にはない大きな要素だったと考えられます。

西郷隆盛が 下層武士のでながら重用されたのも、この郷中教育において、優れたリーダーとしての素質を注目されていたからこその抜擢だったようです。

この郷中のような教育は、戦国時代には、日本各地で行われていた形跡があるようですし、その後、江戸期における全国的な寺子屋の隆盛も、その中の職業教育的側面などは、各種職業に向けての、弟子入りの心構えを教える、世界に例のない先進的なものだったようです。

戦後、GHQの洗脳政策で真っ先に書き換えられた教育体制ではありますが、わたしたち日本人が昔独自に切り開いていた郷中教育や寺子屋教育にも学びながら、教育制度の素晴らしさをもう一度見直し、新しい時代にふさわしい形の共育システムを構築する時が来ているのではないでしょうか?


終わりに、この郷中教育についても講演会がありますので、ご紹介しておきます。
http://www.tsmark.com/wamon/goju/
# by mahorobanokimi | 2015-05-08 16:45 | 新しい社会の在り方に向けて
4月に入って雨や曇りの日々が続き、青空市場もタケノコばかりが目につくような淋しい状態です。

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しかし、あほ〜庵を取り巻く山川は、確かな足取りで春から初夏に向かっています。
種類の違う山桜も、徐々に花を終わり、代わりに広葉樹たちの新緑が、湧き上がるように山を覆い始めています。

そんな中、個人的な都合で、ときどき岡山と名古屋を行き来します。
すると自然に、都市の空気と田舎の空気の違いを実感します。
ビルの混み合った都心入ると、道路の広い名古屋の街ですら、何か圧迫されるような緊張感を感じるのは気のせいかも知れません。
でも、夜の熟睡度が、名古屋の街中の部屋と、岡山の田舎の古民家では、随分と違うのです。
空気や電磁波の影響の違いかも知れません。

今回は、久々の快晴の1日、妻と名古屋の街を歩く時間ができました。
久しくなかったのんびり散歩に、二人ともウキウキです。
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公園のケヤキの林越しにきらめく陽光は、もうすっかり初夏です。
名古屋市科学館の宇宙博では、宇宙基地で国を超えて協力し合う人々の姿に感動したり、子供の時の夢を実現して宇宙で活躍している日本人の話に勇気付けられたり、零下30℃の世界を体験したりして、二人とも久々に子供返りした気分でした。
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黄昏が近ずく頃には、東山のスカイタワーに向かいました。
動物園横の道を辿り、タワーの近くまで来ると、都心だというのにもうすっかり山の雰囲気です。
平坦な名古屋の街のすぐそばに、こんな山の雰囲気が残っていることが、素晴らしいなあと感じます。
スカイタワー5階の展望ルームに登ってみて、嬉しいビックリでした。
山の上に立つ等だけあって、超高層ビルの上からのような360度の素晴らしい展望が開けていたのです。
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他に客もいない静かな展望ルームに、やがて暖かい夕日の日差しが差し込み始めました。
鈴鹿山系から伊吹山の連なりの上から、惜しみなく差し込んでくる初夏の夕日は、まるで体も心も透き通して洗い流すように沁みてきます。

ここが山林の上に聳えるタワーだからなのか、この黄金色のシャワーのせいなのか、とにかく心地よいことこの上なし・・・何という贅沢なひと時だったことでしょう。

このような空気と光が、命本来の輝きを取り戻す最高のご馳走なのだということを実感したのでした。
# by mahorobanokimi | 2015-04-23 14:59 | 「あ ほ~庵」日記
4月も半ばにかかるというのに、暖房の要る日がなくならない。
そんな冷え込みの繰り返しの中でも、春の自然は着実に進んでいる。
ツルキキョウは艶やかな紫で、庭の植え込みを縁取り、
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山椒の新芽は、ポストの横で、木の芽を揺らせて春便りを送る。
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スノードロップは、茂った葉の海に浮かぶランプのように白い小さな花をつけ、
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擬宝珠は大地から突き出したツノのむしろのように新芽を林立させている。
その新芽は、「うるい」として我が家の食卓を飾る。短い旬である。
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コゴミ(草蘇鉄)やアスパラガスも、一気に芽を出し始めた。
寒い日があっても、命の営みは着実に進んでいるのだなあと思う。
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旬の山菜を早速頂こうと、夕食は山菜づくし。
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今夜の食卓は、山菜づくしの和食。
うるいと菜花の辛子酢味噌和え、コゴミとタケノコ、重ね煮の筑前炊き、卯の花、菊芋と大根の麹漬け・・・
質素だけれど、私たち夫婦にとっては、この上なく豊かな食事に思えるのだった。

ゆっくり味わいながら、我が腹に入る山菜たちの気持ちはどんなだろうと考えて見る。
植物たちは、集合意識で生きていると聞いたことがある。
だが、我が腹に入り、腸で血液になり、やがて我が体を構成するメンバーの一員に成った時、彼らは個別意識を持った我が細胞に出世したと喜んでいるのではないだろうか。

まあ、もっとも、彼らが出世したと喜んでくれるような生き方を、和多志が実現すれば・・・という条件付きではあるが。

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窓から見える天神城の斜面には、所々に山桜が、アクセントをつけるように咲いている。
この写真は、食事の時にいつも目につく龍のように咲いている山桜だ。
我が畑の裏の田んぼには、アオサギが餌をついばみに来ていた。
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確実に、春は通り過ぎようとしている。
# by mahorobanokimi | 2015-04-10 02:33 | スローライフ随想
村を貫く片鉄浪漫街道の桜が最高の艶姿を見せてくれたと思ったら、翌日は雨。
昔、鉱山鉄道として建設され、その後村人たちの足になった片上鉄道が、廃線後サイクリング専用道路として蘇ったのが、この浪漫街道だ。

あほ〜庵のすぐ側にある旧天瀬駅は、村の先輩たちが、いつも思いを込めて手入れし、清掃しておられるので、今でも往時の雰囲気を保っていて、サイクリングの人たちの憩いのステーションにもなっている。
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その天瀬駅を取り囲むようにそびえる桜の古木は、列車の通過を見守っていた日を思い出すかのように、絢爛の花を咲かせてくれた。(写真は4日の満開の姿。)

そして、1夜開けた5日。村人たちが楽しみにしていた花見会は、雨。
天瀬の駅は、まさに桜吹雪が散り敷いて、まるで雪が積もったような風情で、艶かしささえ感じられる。
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風情に酔い散り敷いた花びらを踏みながら、村のコミュニティーセンターに。
花見会に集まった顔ぶれは33人。
地区長は、最近にない大人数が集まってくれた、と上機嫌。

この一年の間にも、何人かの村人が亡くなられた。
何しろ村人の9割以上が年金暮らしで、老人会なども74歳のわたしが、若手に入るのだから、様々な寄り合いなんども、参加者が年々少なくなる一方だから、地区長が喜ばれる気持ちもよく分かる。

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# by mahorobanokimi | 2015-04-07 01:06 | スローライフ随想
コブシやモクレンの花びらが風に揺れる季節があっという間に盛りを過ぎ、泡立つ様にソメイヨシノが満開を迎えた。
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公園の桜並木の下には、相変わらず宴のにぎわいが繰り広げられ、溢れた人たちは、花の無い芝生にもシートを広げている。
人々は、ここで何を最も楽しんでいるのだろう・・・とふっと不思議に思うのは、和多志が、ほとんど人がいない静かな田舎の花見になれてしまったからなのか。
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そんな思いを感じた翌朝、春雨の街を歩いていると、昨日とは打って変わった花の姿に出逢い、しばし動けなく成った。
【パステルカラーの春」そんな言葉が浮かんでくる情景だった。
雨にぬれて一人立ち続ける彫像が、妙に存在感を感じさせる午後だった。
# by mahorobanokimi | 2015-04-02 10:42 | 「あ ほ~庵」日記