田中優さんに学ぶ 和氣楽 月に一度の勉強会、今月は19日夜に開かれました。
会場は和気駅前、中銀跡地のエンターワケ。
今回のテーマは、平和のつくり方。
東広島や倉敷方面からの参加者もいらっしゃって、20人を超える盛況ぶりでした。
以下は、その夜の優さんのお話の一部から・・・
太平洋戦争で亡くなった兵士は200万人、しかしその6割は餓死や病死。
特攻隊でも多くの(資料で見ると8割以上の)パイロットたちが、途中で撃墜されてしまったとのこと。
また人間魚雷に至っては100人以上が散って、成果は3艘という無残さでした。(数字は勝部補足)
しかし、1914年第1次大戦中の英独戦線でクリスマスに起きた、自然発生的なつかの間の休戦の逸話などを見ると、本来人間は人を殺したくないし残忍ではないと思われる。
(参考’戦場のクリスマス休戦についての詳細はこちらで)
次に、ブーゲンビル島でゲリラとして戦っていて、後に自治地区の初代大統領になったタニスさんとの出会いの話をしてくださった。
タニスさんは同じ民族同士で戦う虚しさに気づき、自分たちは敵を撃つのを止め、敵が来たら、撃つのを止めようと書き残しては逃げる作戦を続け、敵との話し合いでは、「嫌なら俺を撃て!」と敵の指揮官の前に銃を置いて、命懸けの談判を成立させたというのだ。
すごい勇気ですね、と優さんが聞くと、
「私だって前線で戦うのは怖くて仕方がない。でも、味方同士の争いをやめさせて、平和を作るために死ぬのだと思ったら、命は惜しくないし怖いとは思わない。」と答えられたそうだ。
(この逸話の詳細はこちらで)
戦前戦中に、戦争反対と叫び続け3度も投獄された104歳のご老人にあった時の話もされた。特攻機で突っ込むのも勇気が要っただろうけれど、たった一人で国賊呼ばわりされながらでも、一市民として戦争反対を叫び続けた人の話は、心に響いた。
「平和を作るためなら、命は惜しくない。」と言ったタニスさん、3度投獄されても、一億玉砕が叫ばれる国内で戦争反対を叫び続けた人、こんな真の命懸けが必要な時代に来ているのではないだろうか。
戦場で命懸けの人殺しをした兵士たちの人格崩壊の無残さ、そして既にアメリカやイスラエルがやり始めている、完全電子化のロボット兵士による無慈悲な殺戮、それをビジネスのチャンスと捉えて動き出している日本の政財界・・・と話は続く。
そして、近代の戦争がすべて、石油や天然ガス、鉱物資源、水などとそれを運ぶパイプラインや輸送路が火種なのだということと、戦争や武器の生産に私たち日本人の預貯金が、どれだけ効果的に使われているかという、大きな仕組みの話が実にわかりやすく話され、まさに目からウロコの思いがした。
最後には数人の方が質問する場面もあり、みなさんの真剣度が伝わってきました。
また僧侶の方や牧師さんも参加されていましたが、宗教家にも行動される方がおられるのだなと嬉しくなりました。
(正直なところ、人間の尊厳や生き方をテーマとする宗教人の方々の大半について、余りにも不勉強であったり、実践行動がないことについて、私個人的には寂しい思いを持っていましたが、命のプロ達が今声を上げずして、神や佛を特資格があるのかとさえ思います。)
正直なところ私の中にも、政治問題について意見を言うと周りから煙たがられるとか敵を作るとか、原発や戦争への反対意見を公開すると、権力側から睨まれ危険だ、とか恐れる気持ちがあって、あまり公には意思表示しては来ませんでした。
しかし、今の日本のあり方や流れの方向を見ると、もうそろそろその恐れを手離し、声を上げる時が来たのかなと感じた夜でした。悔いなく生き切ることをモットーにしている自分なら尚の事・・・だと思います。
◆ 和気町という田舎町の片隅での、ささやかな勉強会ですが、田中優さんという全国から待たれている環境問題の専門家が関わってくださっているというのは、本当にありがたい事だと思います。
◆ また、最近は和気町の役場でも意識の高い方が動いてくださって、先日は東京から岡山に避難移住してこられた医師の見た先生の講演会を町主催で開いてくださいました。
この時には町長も自ら参加し、終わりまで熱心に耳を傾けておられました。
また、その2回目として原発問題に取り組んでおられる守田敏也さんの勉強会も開かれました。
放射能被害の恐ろしさについて、マスコミでは聞けない現状と、今後の可能性についても詳しく教えていただきました。
国が、現実を覆い隠そうと躍起になっている時に、行政自ら真実を直視し、町民のために活かそうという姿勢を示していただけることは、この美しい町に惚れ込んでいる移住者の一人として、本当に嬉しくありがたいことだと思っています。
◆ このような状況に視点を広げるとき、震災から5年経ち、放射能被害が明確な症状として現れてくるこれからの時期、東北の被災地はもちろんですが、関東県からの移住者も一気に急増する可能性があります。
◆ 一方、過疎高齢化で和気町消滅という未来も見え始めている今こそ・・・、議会も行政も町民も力を合わせ、若者を交えた様々な人々が移住してきて、賑わいを取り戻す和気町実現に向け、明確な未来ビジョンを描き、その実現計画を創り、実践に移す時が来ているのではないでしょうか。
◆ この二つの事象を考え合わせると、和気町の未来図を明確にし、実践への歩みを始めるのに今を逃す手はないと思います。被災者や放射能に怯えて逃げてこられる子育て中の方々には申し訳ない気がしますが、和気町が蘇る絶好のチャンスであり、移住してこられる方々に対する最大の貢献になるような未来図を描けば、お互いに幸せになるチャンスではありませんか。
◆ おりから町おこし協力隊の若者たち8人も活動しており、彼らは全員がICUの大学生または卒業生や中退生というインテリ集団でもあるようですし、その彼らの柔軟で優れた頭脳も動員してプランを考えるにも絶好のチャンスだと思われます。彼らを日常的な作業の助っ人だけで終わらせるのはなんとももったいない気がします。
◆ 既に、100年の森という長期ビジョンを掲げ森の学校などを開き実践を進めている西粟倉村や、村全体を森林博物館にすることを目指し、また「麻」の栽培を新たな鍵に未来創造を進めている鳥取県智頭町などに、若い人たちが集まり始めている現実を直視し、一日も早く、この和気町でも未来創造へのスタートを切り、移住希望者を惹きつけ受け入れる体制を整えていきたいものです。
そのためにも、この町に住む人誰もが、過疎高齢化に向かう現実を直視し、そのうち誰かが何とかしてくれるという甘えがもう通用しない時代に来ていることを自覚して、それぞれのできることから始めて行く時が来ているのではないでしょうか。
会場は和気駅前、中銀跡地のエンターワケ。
今回のテーマは、平和のつくり方。
東広島や倉敷方面からの参加者もいらっしゃって、20人を超える盛況ぶりでした。
以下は、その夜の優さんのお話の一部から・・・
太平洋戦争で亡くなった兵士は200万人、しかしその6割は餓死や病死。
特攻隊でも多くの(資料で見ると8割以上の)パイロットたちが、途中で撃墜されてしまったとのこと。
また人間魚雷に至っては100人以上が散って、成果は3艘という無残さでした。(数字は勝部補足)
しかし、1914年第1次大戦中の英独戦線でクリスマスに起きた、自然発生的なつかの間の休戦の逸話などを見ると、本来人間は人を殺したくないし残忍ではないと思われる。
(参考’戦場のクリスマス休戦についての詳細はこちらで)
次に、ブーゲンビル島でゲリラとして戦っていて、後に自治地区の初代大統領になったタニスさんとの出会いの話をしてくださった。
タニスさんは同じ民族同士で戦う虚しさに気づき、自分たちは敵を撃つのを止め、敵が来たら、撃つのを止めようと書き残しては逃げる作戦を続け、敵との話し合いでは、「嫌なら俺を撃て!」と敵の指揮官の前に銃を置いて、命懸けの談判を成立させたというのだ。
すごい勇気ですね、と優さんが聞くと、
「私だって前線で戦うのは怖くて仕方がない。でも、味方同士の争いをやめさせて、平和を作るために死ぬのだと思ったら、命は惜しくないし怖いとは思わない。」と答えられたそうだ。
(この逸話の詳細はこちらで)
戦前戦中に、戦争反対と叫び続け3度も投獄された104歳のご老人にあった時の話もされた。特攻機で突っ込むのも勇気が要っただろうけれど、たった一人で国賊呼ばわりされながらでも、一市民として戦争反対を叫び続けた人の話は、心に響いた。
「平和を作るためなら、命は惜しくない。」と言ったタニスさん、3度投獄されても、一億玉砕が叫ばれる国内で戦争反対を叫び続けた人、こんな真の命懸けが必要な時代に来ているのではないだろうか。
戦場で命懸けの人殺しをした兵士たちの人格崩壊の無残さ、そして既にアメリカやイスラエルがやり始めている、完全電子化のロボット兵士による無慈悲な殺戮、それをビジネスのチャンスと捉えて動き出している日本の政財界・・・と話は続く。
そして、近代の戦争がすべて、石油や天然ガス、鉱物資源、水などとそれを運ぶパイプラインや輸送路が火種なのだということと、戦争や武器の生産に私たち日本人の預貯金が、どれだけ効果的に使われているかという、大きな仕組みの話が実にわかりやすく話され、まさに目からウロコの思いがした。
最後には数人の方が質問する場面もあり、みなさんの真剣度が伝わってきました。
また僧侶の方や牧師さんも参加されていましたが、宗教家にも行動される方がおられるのだなと嬉しくなりました。
(正直なところ、人間の尊厳や生き方をテーマとする宗教人の方々の大半について、余りにも不勉強であったり、実践行動がないことについて、私個人的には寂しい思いを持っていましたが、命のプロ達が今声を上げずして、神や佛を特資格があるのかとさえ思います。)
正直なところ私の中にも、政治問題について意見を言うと周りから煙たがられるとか敵を作るとか、原発や戦争への反対意見を公開すると、権力側から睨まれ危険だ、とか恐れる気持ちがあって、あまり公には意思表示しては来ませんでした。
しかし、今の日本のあり方や流れの方向を見ると、もうそろそろその恐れを手離し、声を上げる時が来たのかなと感じた夜でした。悔いなく生き切ることをモットーにしている自分なら尚の事・・・だと思います。
◆ 和気町という田舎町の片隅での、ささやかな勉強会ですが、田中優さんという全国から待たれている環境問題の専門家が関わってくださっているというのは、本当にありがたい事だと思います。
◆ また、最近は和気町の役場でも意識の高い方が動いてくださって、先日は東京から岡山に避難移住してこられた医師の見た先生の講演会を町主催で開いてくださいました。
この時には町長も自ら参加し、終わりまで熱心に耳を傾けておられました。
また、その2回目として原発問題に取り組んでおられる守田敏也さんの勉強会も開かれました。
放射能被害の恐ろしさについて、マスコミでは聞けない現状と、今後の可能性についても詳しく教えていただきました。
国が、現実を覆い隠そうと躍起になっている時に、行政自ら真実を直視し、町民のために活かそうという姿勢を示していただけることは、この美しい町に惚れ込んでいる移住者の一人として、本当に嬉しくありがたいことだと思っています。
◆ このような状況に視点を広げるとき、震災から5年経ち、放射能被害が明確な症状として現れてくるこれからの時期、東北の被災地はもちろんですが、関東県からの移住者も一気に急増する可能性があります。
◆ 一方、過疎高齢化で和気町消滅という未来も見え始めている今こそ・・・、議会も行政も町民も力を合わせ、若者を交えた様々な人々が移住してきて、賑わいを取り戻す和気町実現に向け、明確な未来ビジョンを描き、その実現計画を創り、実践に移す時が来ているのではないでしょうか。
◆ この二つの事象を考え合わせると、和気町の未来図を明確にし、実践への歩みを始めるのに今を逃す手はないと思います。被災者や放射能に怯えて逃げてこられる子育て中の方々には申し訳ない気がしますが、和気町が蘇る絶好のチャンスであり、移住してこられる方々に対する最大の貢献になるような未来図を描けば、お互いに幸せになるチャンスではありませんか。
◆ おりから町おこし協力隊の若者たち8人も活動しており、彼らは全員がICUの大学生または卒業生や中退生というインテリ集団でもあるようですし、その彼らの柔軟で優れた頭脳も動員してプランを考えるにも絶好のチャンスだと思われます。彼らを日常的な作業の助っ人だけで終わらせるのはなんとももったいない気がします。
◆ 既に、100年の森という長期ビジョンを掲げ森の学校などを開き実践を進めている西粟倉村や、村全体を森林博物館にすることを目指し、また「麻」の栽培を新たな鍵に未来創造を進めている鳥取県智頭町などに、若い人たちが集まり始めている現実を直視し、一日も早く、この和気町でも未来創造へのスタートを切り、移住希望者を惹きつけ受け入れる体制を整えていきたいものです。
そのためにも、この町に住む人誰もが、過疎高齢化に向かう現実を直視し、そのうち誰かが何とかしてくれるという甘えがもう通用しない時代に来ていることを自覚して、それぞれのできることから始めて行く時が来ているのではないでしょうか。
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by mahorobanokimi
| 2015-08-21 13:38
| 新しい社会の在り方に向けて